源希

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源希
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 嘉祥元年(848年
死没 延喜2年正月19日902年3月1日
官位 従三位中納言
主君 陽成天皇光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源弘、母:不詳
不詳
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源 希(みなもと の まれ/のぞむ)は平安時代初期から中期にかけての公卿嵯峨源氏大納言源弘の六男。

経歴[編集]

元慶8年(884年従五位下内蔵助に叙任される。翌元慶9年(885年民部少輔ついで右衛門権佐に任ぜられる。仁和2年(886年右少弁となる。右少弁在任中には宇多天皇五位蔵人を務めた[1]

仁和3年(887年近江権守を兼任。仁和4年(888年)従五位上に昇り、侍従大蔵大輔右近衛少将左少弁を兼任。寛平4年(892年正五位上右近衛権中将に叙任される。さらに翌年に従四位下伊予守に叙任され、権左中弁ついで右大弁となり、蔵人頭に補された。同年中に修理大夫右兵衛督を兼ねる。翌年にはさらに播磨守・左近衛中将・侍従を兼ねた。

寛平7年(895年参議に任ぜられ公卿に列す。寛平9年(897年)左大弁に転じて従四位下に叙される。昌泰2年(899年従三位中納言に叙任され民部卿を兼任した。

延喜2年(902年)正月19日薨去享年55。

官歴[編集]

※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 元慶8年(884年)2月23日:従五位下に叙す。3月9日:内蔵助に任ず。
  • 元慶9年(885年)正月16日:民部少輔に任ず。2月20日:右衛門権佐に任ず。
  • 仁和2年(886年)正月16日:右少弁に任ず。4月5日:斎院長官。
  • 仁和3年(887年)2月2日:近江権守を兼ぬ。
  • 仁和4年(888年)11月25日:従五位上に叙す。
  • 寛平2年(890年):侍従を兼ぬ。9月20日:大蔵大輔を兼ぬ。
  • 寛平3年(891年)3月9日:右近衛少将を兼ぬ。4月7日:禁色衣服を聴す(蔵人)。11月:左少弁を兼ぬ。少将如元。
  • 時期不明:五位蔵人に補す。
  • 寛平4年(892年)正月7日:正五位上に叙す。正月23日:右近衛権中将を兼ぬ。
  • 寛平5年(893年)正月11日:伊予守を兼ぬ。正月21日:従四位下に叙す。2月16日:権左中弁を兼ぬ。2月22日:右大弁に転ず。蔵人頭に補す。
  • 寛平5年(893年)3月19日:修理大夫を兼ぬ。5月1日:右兵衛督を兼ぬ。
  • 寛平6年(894年)正月11日:播磨守を兼ぬ。正月16日:左近衛中将を兼ぬ。12月15日(895年1月14日):侍従を兼ぬ。
  • 寛平7年(895年)10月26日:参議に任ず。右大弁左中将播磨守侍従等如元。
  • 寛平9年(897年)5月25日:左大弁に転ず。6月:中将を止む。7月13日:従四位上に叙す。
  • 昌泰2年(899年)2月14日:中納言に任じ、従三位に叙す。侍従如元。3月7日:民部卿を兼ぬ。
  • 昌泰3年(900年)3月23日:民部卿を止む。
  • 延喜2年(902年)正月19日:薨ず。享年55。

系譜[編集]

  • 父:源弘
  • 母:不詳
  • 妻:不詳(生母不明)
    • 男子:源号
    • 男子:源等(881-951)

脚注[編集]

  1. ^ 蔵人補任』宇多院