満徳寺
満徳寺(まんとくじ)は、群馬県太田市徳川町382-2にあった時宗の寺院である。山号は徳川山。本尊は阿弥陀如来。鎌倉の東慶寺とともに縁切寺として知られる。太田市立縁切寺満徳寺資料館の東に隣接する。
歴史[編集]
江戸幕府を開いた徳川家の祖とされる世良田義季の開基により創建されたと伝えられる。そのことから徳川家の帰依を得、2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切のためこの寺に入り、その後本多忠刻に再嫁したという。江戸時代には幕府から朱印状も与えられていた。幕府瓦解により、1872年(明治5年)に廃寺となったが、地域住民が本尊などの什物を守ってきた。1992年(平成4年)、尾島町により縁切寺満徳寺資料館(現、太田市立縁切寺満徳寺資料館)が開館し、遺跡地には1994年(平成6年)に本堂・門などが復元され、遺跡公園として整備されている。寺院として復活させる動きもある[1]。
文化財[編集]
- 縁切寺満徳寺遺跡
所在地[編集]
群馬県太田市徳川町
関連項目[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 太田市立縁切寺満徳寺資料館
- 髙木侃「縁切寺満徳寺の内済離縁(二) : 新史料の紹介をかねて」『専修法学論集』第109巻、専修大学法学会、2010年7月、1-19頁、doi:10.34360/00005870、ISSN 0386-5800、NAID 120006793414。
座標: 北緯36度15分12.6秒 東経139度17分11.83秒 / 北緯36.253500度 東経139.2866194度