湯田町 (薩摩川内市)

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湯田町
—  大字  —
薩摩高城駅
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口 (2011年4月1日現在)
 - 計 611人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 899-1802

湯田町(ゆだちょう Yuda-Chō)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧高城郡高城村大字湯田薩摩郡高城町大字湯田川内市湯田町郵便番号は899-1802。人口は611人、世帯数は330世帯(2011年4月1日現在)[2]

「湯田」という地名は北東部にある湯之元温泉(川内高城温泉)から流れる湯水が下流一帯の水田の用水になっていたことに由来しているという説がある[3]

地理[編集]

薩摩川内市の西部、湯田川の下流域に位置する[3] 。字域の北は薩摩川内市西方町阿久根市大川、南は薩摩川内市網津町、東は同市陽成町、同市城上町、西は東シナ海に接している。

字域の西部に国道3号が通り、それに沿って肥薩おれんじ鉄道が通っている。字域内には薩摩高城駅が所在している。中央部には鹿児島県道339号東郷西方港線が東西に通っており、東部には川内高城温泉がある。

かつては薩摩川内市立高城西中学校が所在していたが、2012年3月10日に閉校式が行われ[4]、2012年度より薩摩川内市立水引中学校へ統合された。また隣接して所在していた薩摩川内市立湯田小学校も2014年4月1日を以て廃止され、薩摩川内市立水引小学校へ統合された。

歴史[編集]

湯田という地名は鎌倉期より見え、薩摩国高城郡のうちであった。江戸期には高城郡高城のうちであり、村高は「加増目録」では425石余、「旧高旧領」では1,015石余であった。

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの高城郷の区域より高城村が成立し、江戸期の湯田村は高城村の大字「湯田」となり、1960年(昭和35年)に高城村は町制施行し高城町となった。その後1965年(昭和40年)に高城町が川内市に編入され、川内市の大字「湯田町」となった[5]

2004年(平成16年)に川内市が東郷町樋脇町入来町祁答院町里村上甑村下甑村鹿島村と共に新設合併し薩摩川内市の大字となった。

菅原道真の行跡に関する伝説[編集]

「川内地方を中心とせる郷土史と伝説」によれば、菅原道真の行跡について次のように記載されている。菅原道真大宰府に左遷されてからも尚、危険が身の上に及ぼうとしたので、菅原道真は船を筑前から出して水俣湾を通り、高城村の湯田港(現在の薩摩川内市湯田町)に到着して、船を港口の大石に繋ぎ上陸した。現在の湯田口の大石ケ迫は、その上陸地点で、古来より菅原道真の船繋石と称する大石がある。船繋石より上湯田方面に上って行けば、菅原道真の御腰掛石と称する石がある。

菅原道真は吉川を経て同市東郷町藤川にある菅原神社(藤川天神)で隠棲し死去したとされる[6]

施設[編集]

薩摩川内市立湯田小学校
教育
寺院
  • 温泉寺
  • 愛宕神社
  • 熊野神社

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]

大字 番地 小学校 中学校
湯田町 全域 薩摩川内市立水引小学校 薩摩川内市立水引中学校

交通[編集]

道路[編集]

国道
県道

鉄道[編集]

肥薩おれんじ鉄道

脚注[編集]

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ a b 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.761
  4. ^ 『南日本新聞』 2012年3月13日付 18面(65年の伝統胸に刻む 薩摩川内高城西中で閉校式)
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.460
  6. ^ 『川内地方を中心とせる郷土史伝説 西播磨の民謡』 編者:鹿児島県立川内中学校 発行人:泰山哲之 昭和54年
  7. ^ 高城西中学校 - 薩摩川内市立高城西中学校 2012年1月16日閲覧。
  8. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2012年5月26日閲覧。

座標: 北緯31度54分23秒 東経130度14分21.1秒