湯の峰温泉

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Hot springs 001.svg湯の峰温泉
Tuboyu.jpg
つぼ湯
温泉情報
所在地 和歌山県田辺市本宮町
交通 バス - 龍神バス熊野交通奈良交通:バス停「湯の峰温泉」
泉質 含硫黄炭酸水素塩泉(ナトリウム
泉温 92
湧出量 約30 L/分
pH 7.0
液性の分類 中性
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 15(旅館4・民宿11)
総収容人員数 507 人/日
外部リンク 熊野本宮観光協会
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湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)は、和歌山県田辺市本宮町(旧国紀伊国牟婁郡)にある温泉

概要[編集]

泉質[編集]

高温泉のため、下記のつぼ湯に入る際は必ず湯温を確かめること(水でうめて冷ますので、前にしばらく人が入っていないと大変熱くなっている。)

効能[編集]

効能はその効果を万人に保証するものではない。

温泉街[編集]

温泉街と湯筒を上流側より見る。
つぼ湯の湯殿
湯の峰温泉 公衆浴場
湯の峰温泉 湯筒
湯の峰温泉 湯筒

四村川の流れる狭い谷の両岸に15軒の旅館が軒をならべる、静かな温泉街である。

共同浴場は2箇所存在する。そのうちのひとつは、日本最古の共同浴場と言われるつぼ湯である。川岸の小屋の中に2から3人程度が入れる岩穴があり、そこに温泉が湧いている。1800年の歴史があるとされ、小栗判官回復の伝説がある。1日に7回湯の色が変わると言われている。つぼ湯の少し下流に湯の峰共同浴場があり、つぼ湯もここが管理している。

共同浴場前の川岸に湯筒という源泉自噴口がある。湧出温度が高いため、ここで温泉玉子や茹で野菜を作る光景が見られる。近所の店で野菜を売っているので、観光客も温泉卵作りを楽しめる。

歴史[編集]

開湯は成務天皇の代(4世紀頃)に熊野国造大阿刀足尼(おおあとすくね)によると言われる。温泉名は、湯の花でできた薬師如来の胸から温泉が湧いていたことに由来し、「湯の胸」が転じて「湯の峰」となった。

熊野御幸の時代にも、皇族や貴紳がこの地を訪れたが、それらはあくまで休養としてのものである。熊野詣との関連で、湯垢離(ゆごり)による潔斎の場としての地位を獲得するのは、熊野御幸の盛期を過ぎた14世紀頃からであると考えられており、室町時代に入ると旅の疲れを癒す意味もあって参拝前に入浴したという。この時期には、熊野の地で修行に励んだ一遍もこの地を訪れている。

しかし、近世には、西国三十三所の優越とともに、潔斎の場としての意義は薄れ、単なる湯治場としての性格が勝ってくるようになった。また、江戸時代に作成された温泉番付では、「本宮の湯」として勧進元に名を連ねている。名の由来となった湯峯薬師をまつる東光寺熊野九十九王子のひとつ湯の峰王子が温泉街内に今もある。

1957年昭和32年)9月27日厚生省告示第310号により、熊野本宮温泉郷の一部として川湯温泉渡瀬温泉とともに国民保養温泉地に指定された。共に国民保養温泉地に指定された川湯温泉、渡瀬温泉とは毎年10月に献湯祭を開き、熊野本宮大社に献湯している。

小栗伝説の地[編集]

中世の説経節「小栗判官」において、小栗が蘇生を遂げた地とされるため、この温泉の周辺には小栗にまつわる伝承が多い。特に、小栗伝説については、餓鬼阿弥となった小栗が湯の峰にやって来るまでに乗っていた車が捨てられたと伝えられる車塚、蘇生した小栗が力試しをするために持ち上げた石だとされる力石、小栗の髪を結っていた藁を捨てたところに稲が自然に生えて来たという不蒔の稲(まかずのいね)など多くの遺構がある。

文化財[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 熊野参詣道”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2009年6月11日閲覧。
  2. ^ 田辺市の指定 文化財一覧表”. 田辺市教育委員会. 2008年12月20日閲覧。
  3. ^ 世界遺産登録推進三県協議会(三重県・奈良県・和歌山県)、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会、pp.39,75

関連項目[編集]

外部リンク[編集]