渡邊隆

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渡邊 隆(わたなべ たかし、1949年11月10日-)は、日本実業家。物流・運輸業を営む東江グループの代表取締役社長。東江運輸の創業者である渡邊喜八郎の息子であり、慶應義塾大学卒業後に同社に入社、後に経営の後を継いだ。競走馬馬主としても知られる。東京都出身。

馬主活動[編集]

馬主資格取得は1979年。「トウコウ」の冠名で知られた父・喜八郎と親子二代の馬主であり、かつては良血馬を喜八郎、動きが良い馬を隆が所有するという形態が取られていた[1]。馬の血統表やファミリーテーブル、セールの名簿を眺めることが趣味であるといい[2]、血統に造詣が深い。所有馬はいずれも自身が考案した配合によって生まれたもので、事実上のオーナーブリーダー(馬主兼生産者)である。特に日仏で活躍したエルコンドルパサーがよく知られ、クロスが幾重にも掛けられたその配合は、アメリカの競馬誌『デイリーレーシングフォーム』において「フェデリコ・テシオマルセル・ブサックに続く (Move over Federico Tesio and Marcel Bussac)」、「比類なき配合によって、エルコンドルパサーは非常に重要な種牡馬となるだろう (With his incomparable pedigree,El condor pasa should be very important stallion)」と高い評価を受けた[3]

「我々は常に挑戦者でありたい」[4]と語り、所有馬の海外挑戦に積極的な姿勢を表明している[4]。1999年のエルコンドルパサーのフランス遠征に続き、2003年にはスシトレインのアメリカ遠征を計画した[5][4]。ただしスシトレインの遠征は最終的に取りやめている[6]

勝負服については、かつては「黄、青一本輪、赤袖」という配色であったが、現在は「青、白襷」を使用している。

主な所有馬[編集]

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走

慶應大学時代にサッカー部(同学での名称は「ソッカー部」)に所属しており、馬名の多くはサッカー経験に想を得たものとなっている。オフサイドトラップはサッカーの戦術、エルコンドルパサーはペルーの民謡「コンドルは飛んでいく」のことで、かつてペルーに住んでいたサッカー部の先輩からの発想[7]、ハンソデバンドは日本代表にも選出されたプロサッカー選手播戸竜二に由来する[8]

受賞[編集]

交友[編集]

政治家中川昭一とは、互いの娘が同級生という縁から私的に親交があった。中川が小渕内閣農水相を務めていた当時の1998年8月、オフサイドトラップが「農林水産大臣賞典」の新潟記念を勝った際にその旨を中川に伝えたところ、「僕はジャパンカップの表彰式に行くことになってる」と聞かされ、これが同競走へエルコンドルパサーが出走する選択理由のひとつになったという[9]。ジャパンカップも農林水産大臣賞典であり、渡邊は中川から優勝トロフィーを授与された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『優駿』1999年5月号 p.89
  2. ^ 『優駿』1999年10月号 p.20
  3. ^ 『書斎の競馬』第1号42頁に掲載された紙面写真より。なお、この記事では馬主名が「Kihachiro Watanabe」とされていたが、誤りである。
  4. ^ a b c 「トピックス 渡辺オーナーに直撃!! スシトレイン米国遠征の理由」、『サラブレ』第9巻第3号(2003年3月号)、エンターブレイン、11ページ。
  5. ^ "Sushi Train Scheduled for Stop on Triple Crown Trail", The Blood-Horse, 2003年1月23日, 2016年1月25日閲覧.
  6. ^ スシトレイン放牧へ」、競馬ブックコーナー、競馬道OnLine、2003年3月10日、2016年1月25日閲覧。
  7. ^ 『優駿』1999年5月号 p.89
  8. ^ ハンソデバンド由来はあのサッカー選手”. スポニチアネックス (2010年2月2日). 2010年4月15日閲覧。
  9. ^ 『書斎の競馬』第1号 pp.43-44

参考文献[編集]

  • 『書斎の競馬 (1)』(飛鳥新社、1999年)ISBN 978-4870314016
  • 優駿』1999年5月号(日本中央競馬会)「杉本清の競馬談義169 ゲスト・渡邊隆さん」
  • 『優駿』1999年10月号(日本中央競馬会)吉沢譲治「いまをときめくGIホースマンが語る成功へのこだわり私流血統論」