渡辺香墨

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渡辺 香墨(わたなべ こうぼく、1866年慶應2年5月27日) - 1912年大正元年)12月28日)は、日本の法律家俳人正岡子規門人台湾俳壇の基礎を作った一人。本名は助治郎(すけじろう)。

略歴・人物[編集]

1866年(慶應2年5月27日)、常陸国稲敷郡君原村に生まれる。1886年明治19年)に東京法学校(現・法政大学)卒業し、裁判官となる。1894年(明治27年)、正岡子規の門人となる。 1898年(明治31年)に新潟県裁判所に赴任し、新潟県における新派俳人の草分けとして活動、子規から『著き進歩を現したる者』として『東京に五城あり、越後に香墨あり、大阪に青々あり』とし、『香墨は漸を追ふて進む者基礎既に堅し』と評されている。1900年(明治33年)に台湾総督府法院検察官として台湾に赴任、俳誌『相思樹』を創刊し、台湾俳句界の指導者的立場として活動する。また、在台中、毎年、子規にバナナを送っており、子規から『相別れてバナナ熟する事三度』という句を添えて礼状を送られている。

句集[編集]

  • 『香墨句帖』

関連本[編集]

  • 『渡辺香墨-俳人』市毛豊備 (双樹社、1952)

参考[編集]