渡辺玄宗

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渡邊 玄宗(わたなべ げんしゅう、俗名:青柳与兵次、明治2年(1869年) - 昭和38年(1963年12月9日)は、日本曹洞宗僧侶總持寺独住17世貫首(円鑑不昧禅師)。号は本行。

略歴[編集]

1869年(明治2年)、新潟県三島郡日吉村鳥越(現、長岡市)の農家青柳家の次男に生まれる。指物師の箕山家に養子に入るも、出家を望み、1892年に長野県佐久市泉龍寺渡邊俊龍に就いて出家する。

1897年富山市光厳寺に移って修行を重ね、哲学館仏教専修科にも通学する。卒業後、比叡山天台を学び、永平寺で2年間、円覚寺で5年間修行を重ねる。

1902年(明治35年)に富山県報恩寺住職となり、次いで富山市光厳寺住職となる。1925年(大正13年)に再度円覚寺で2年半、修行を重ねる。

1927年(昭和2年)に大乗寺に入って復興させ、永平寺副監院、同後堂を歴任。

1935年(昭和10年)10月に興禅寺 (横浜市)開山になる。[1]

1943年(昭和18年)に總持寺西堂となり、翌1944年に独住17世貫首になる。

1957年(昭和32年)に引退し、總持寺祖院に移る。

1963年(昭和38年)12月9日に祖院にて遷化。

弟子[編集]

渡邊頼應(城満寺住職)・板橋興宗(總持寺独住23世)

著書[編集]

  • 『現代名僧講話 渡辺玄宗集』(誠信書房、1957年)
追悼集
  • 『玄宗禅師を偲びて』(渡辺禅師追悼誌刊行会編、1964年)

論文・記事[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「南区の歴史発刊実行委員会」編集『南区の歴史』1976年3月30日刊 386頁

関連項目[編集]

先代:
熊澤泰禅
曹洞宗總持寺貫首
独住17世:1944年-1957年
次代:
孤峰智璨