渋沢作太郎

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渋沢 作太郎(しぶさわ さくたろう、1861年10月14日文久元年8月15日[1] - 没年不明)は、日本商人(渋沢商店、生糸売込商)[2]会社役員横浜蚕糸外四品取引所理事[2]。横浜火災海上運送信用保険取締役[1]横浜商業会議所議員[1]。族籍は神奈川県平民[1][2]

人物[編集]

東京人造肥料取締役・渋沢喜作の長男[1]1883年家督を相続する[1]。生糸売込商で、屋号を「渋沢商店」と称する[1]。住所は神奈川県横浜市本町[1][2]

家族・親族[編集]

渋沢家
  • 妻・のぶ1862年 - ?、東京、牧原吉郎兵衛の長女)[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第2版』し1330頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 初版』し1074頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903 - 1911年。