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済深法親王

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済深法親王(さいしんほっしんのう、寛文11年8月16日1671年9月18日) - 元禄14年12月2日1701年12月30日[1])は江戸時代皇族霊元天皇の第1皇子。母は小倉実起娘・中納言典侍。初名は寛清[1]

天和2年(1682年)10月25日に親王となり、10月28日に得度慈尊院大僧正の永愿に師事する。元禄元年(1688年)3月4日、二品に叙せられる。東大寺別当を務めた。元禄14年(1701年)に31歳で死去[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c 本朝皇胤紹運録』(『群書類従』第5輯(群書類従刊行会、1954年)p.110)
  2. ^ 京都風光(京都寺社案内)>勧修寺宮墓地 (京都市山科区)