清田鎮忠

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清田鎮忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正8年(1580年
別名 通称:新五右衛門尉鎮忠[1]
戒名 雲霧[1]
主君 大友宗麟
氏族 清田氏
父母 父:清田鑑信
兄弟 鎮忠正成
大友宗麟娘・ジュスタ[1]
清田鎮乗
養子:鎮乗志賀親次兄弟)

清田 鎮忠(きよた しげただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将[1]大友氏の家臣。キリシタンだったと伝えられる[1]

略歴[編集]

清田氏は大友氏庶流戸次氏の支族[1]。鎮忠は大友宗麟に仕え、天正6年(1578年)には土持親成の籠城する松尾城攻めに参加し、戦功を挙げた[1]。同年の大友宗麟の日向国侵攻の際は野津院衆を率いて活躍したという[1]

天正8年(1580年)、大友氏を裏切った田原親貫国東郡実際寺にて破ったが、帰途で負傷しそのまま死去した[1]

室・ジュスタは大友宗麟の娘であり、当初は土佐国西部の戦国大名一条兼定の正室であった。その後、兼定と離別して鎮忠に嫁いだとされる。ジュスタは天正10年(1582年)に受洗し、鎮忠と同様にキリシタンとなった。

子孫[編集]

鎮忠の婿養子は清田鎮乗とされ、志賀親次の兄弟という。鎮乗は鎮忠とジュスタの娘との間に細川忠興の側室・吉(幾知、きち、円通院)を儲けた。吉は細川立孝を産んでおり、子孫からは元内閣総理大臣細川護熙が出ている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『戦国人名事典』(阿部猛西村圭子編)567頁