清水澄子

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日本の旗 日本の政治家
清水澄子
しみず すみこ
生年月日 (1928-03-01) 1928年3月1日
出生地 福井県坂井市
没年月日 (2013-01-14) 2013年1月14日(満84歳没)
出身校 福井県立丸岡高等学校
所属政党 日本社会党 →)
社会民主党

選挙区 比例区
当選回数 2回
在任期間 1989年7月23日 - 2001年7月22日
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清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - 2013年1月14日)は日本の政治家。元参議院議員(2期)。日本社会党を経て社会民主党に所属した。

略歴[ソースを編集]

活動[ソースを編集]

選択的夫婦別姓制度・男女共同参画[ソースを編集]

選択的夫婦別姓制度導入に賛成している。「人にはそれぞれ固有の姓があります。基本的人権です。ところが、結婚と同時に法律で夫婦の姓を一つにすることを強制し、別姓を選んだ場合は、法律上の結婚とは認めず、法定相続人にはなれない。子どもには「婚外子」という制裁まで加えています。この不条理を、政府はいつまで女性に受忍しろというのでしょうか。夫婦別姓と婚外子差別の問題は、憲法制定に伴う1946年の民法改正以来の宿題」である、と述べている[3]

2006年5月、清水らが開催した「06権利とくらし平和のための女性集会」で清水は「軍事化とジェンダー」と題して講演、「東京都石原慎太郎知事)や埼玉県上田清司知事)において男女共同参画が執ような攻撃に晒されている」と述べた。

従軍慰安婦関連[ソースを編集]

1990年12月18日の参議院外務委員会において、いわゆる「従軍慰安婦」について女子挺身隊として「強制連行」があったのではないかという趣旨の質問をした。これに対し厚生省担当者は明確な答弁をしなかった。慰安婦の強制駆り出しの実態について吉田清治1992年3月21日の予算委員会の参考人として要請し、「それが実現しなかったことは非常に残念です。」と述べた[4]

北朝鮮問題関連の活動[ソースを編集]

2001年1月には、日本労働党の機関紙「労働新聞」のインタビューに対し「謝罪と補償にもとづく、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化がもっとも緊急の政治課題」「日本は過去の問題があるにもかかわらず、これを急ごうとしていない。常に、『ミサイル』とか『李恩恵』、今度は『拉致疑惑』など、自分自身の過去の清算が第一の課題なのに、他の問題を同列にもちこんでいる。これは、やはり、朝鮮民族に対する決定的な差別意識があるからだろう[5]」と答えた。同月、政府に対し北朝鮮による日本人拉致問題に関する質問主意書を提出し、政府から「御指摘の失踪者については、捜査当局において、御指摘の元北朝鮮工作員に対する事情聴取を含め、それまでの捜査の結果を総合的かつ慎重に検討した結果、北朝鮮により拉致された疑いがあると判断するに至ったものと承知している」「李恩恵と称する人物については、捜査当局において、その特徴に酷似する埼玉県出身の日本人女性を抽出するに至ったため、同人の生年月日を含め、親族からの事情聴取等を行い、その捜査の結果を総合的かつ慎重に検討した結果、当該日本人女性と同一である可能性が極めて高いと判断するに至ったものと承知している」との回答を引き出した。

2009年12月1日、外務省を訪問し、北朝鮮への人道支援を再開すること、在日朝鮮人に対する「法の厳格適用」という名のハラスメントを中止し、彼らの人権保障に向けた措置を講じることなどを要請した[6]。2011年9月29日にも朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表として関連諸団体関係者とともに外務省を訪れ、野田佳彦首相・玄葉光一郎外相に宛てて「朝・日国交正常化の早期実現を求める要望書」を提出。同要望書は、日朝国交正常化交渉を早期に再開し、日朝間の問題は日本の植民地支配という過去の清算から進め、2012年秋までには国交正常化すること、北朝鮮に対する制裁措置を直ちに解除すること、万景峰号の日本入港禁止を直ちに解除すること、朝鮮学校への補助金停止と高校授業料無償化措置の不履行により民族教育権が侵害され差別されておりその是正を要求している[7]

政界引退後の活動[ソースを編集]

落選後も拉致問題の「終結」や日朝国交正常化推進、北朝鮮人権法反対、朝鮮人遺骨返還問題解決などを訴えた。また議員在職中以来「女性国際戦犯法廷」に加わっており、「従軍慰安婦」問題や日本の「戦争責任」追及、更に護憲人権アジアにネットワークをつくると称するフェミニズムジェンダー・フリー関連の市民運動やNGOに参加した。

2010年には、「韓国併合100年 日本と朝鮮半島の今を問い日朝国交正常化の実現を!女性集会」の実行委員長に就任。和田春樹内海愛子らを含む、200人の参加者を集めた[8]

晩年の役職[ソースを編集]

著書[ソースを編集]

  • 『手さぐりの女性解放』
  • 『男女平等』(共著)
  • 『医療110番』(共著)
  • 『女性がつくる21世紀 私たちの北京「行動綱領」』(清水澄子・北沢洋子共著) 1996年2月 女性政策研究所/出版 ユック舎/発売 ISBN 4-8431-0061-7

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 当時は大宮市
  2. ^ 清水澄子さん死去 朝日新聞 2013年1月15日閲覧
  3. ^ 別姓訴訟を支える会、応援メッセージ
  4. ^ 第123回国会 予算委員会 第6号 平成四年三月二十一日(土曜日)[1]
  5. ^ 日本労働党ホームページ 20010101 独立・自主の進路打ち立てよう 本年前半にも日朝国交を 朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表、参議院議員・清水 澄子
  6. ^ 日朝国交正常化連絡会 日本外務省に要請 「対朝鮮政策で新たな転換を」
  7. ^ 首相、外相に宛てた要望書提出 日朝正常化を来年秋までに
  8. ^ 朝日友好ニュース 「韓国併合」100年 東京・水道橋で女性集会