深瀬昌久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名よしひさ1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本写真家北海道中川郡美深町生まれ。

「自分とは何か」を追求し続けた写真家として知られ、題材は家族(『洋子』、『家族』)、カラス(『鴉』)を経て最後には水中カメラを使って自分自身を取り続ける(『ブクブク』)までに到達した。

略歴[編集]

  • 1934年 - 2月25日、深瀬写真館の二代目である父・深瀬助造、母・みつゑの長男として生まれる。
  • 1940年 - 尋常小学校(後の国民学校初等科)に入学。
  • 1946年 - 北海道立名寄中学校に入学。
  • 1949年 - 北海道名寄高等学校に入学。写真部を創設、写真雑誌の熱狂的な愛読者となる。
  • 1952年 - 上京し、日本大学芸術学部写真学科に入学。
  • 1956年 - 第一宣伝社に入社、広告写真を撮る。
  • 1960年 - 初の個展「製油所の空」(小西六ギャラリー)を開催。『コマーシャルフォト』の編集者であった玉田顕一郎の目にとまり、写真評論家・吉村伸哉を紹介される。
  • 1961年 - 個展「豚を殺せ!」(銀座画廊)を開催。
  • 1963年 - 「朝がくる」を『カメラ毎日』に発表。
  • 1964年 - 日本大学の1年後輩の高梨豊に誘われ、日本デザインセンターに転職。鰐部洋子と結婚。
  • 1967年 - 河出書房新社写真部長に就任。
  • 1968年 - 河出書房新社が倒産、退社しフリーランスとなる。
  • 1971年 - 写真集『遊戯』(中央公論社)刊行。故郷の北海道に帰郷し、深瀬写真館で家族の記念写真を写す。(後に「家族」としてまとめる)
  • 1974年 - 荒木経惟東松照明細江英公横須賀功光森山大道とともに「ワークショップ写真学校」を開講(-1976年)。
  • 1974年 - ニューヨーク近代美術館「NJP展」、東京国立近代美術館「15人の写真家展」に参加。
  • 1976年 - 洋子と離婚。代表作「烏」の撮影を開始する。写真展「烏」(銀座ニコンサロン、10月。新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロンに巡回)開催。石川佳世子と再婚。
  • 1977年 - 仔猫を譲り受け、サスケと名づける。前年開催の写真展「烏」で第2回伊奈信男賞を受賞。
  • 1978年 - 写真展「洋子」(新宿ニコンサロン、2月。銀座ニコンサロンに巡回)開催。写真集「洋子」(朝日ソノラマ)刊行。1年間撮影し続けたサスケの写真で写真集「ビバ! サスケ」(ペットライフ社)、「サスケ!! いとしき猫よ」(青年書館)を刊行。
  • 1979年 - 1歳を過ぎて活発ではなくなったサスケのカンフル剤としてまたもや仔猫を譲り受け、モモエと名づける。2匹を撮影した写真で写真集「猫の麦わら帽子」(文化出版局)を刊行。写真展「鴉 1979」(銀座ニコンサロン、5月。新宿ニコンサロンと大阪ニコンサロンに巡回)開催。山岸章二死去。
  • 1981年 - 写真展「烏 東京篇」(銀座ニコンサロン、6-7月。大阪ニコンサロンに巡回)開催。
  • 1983年 - かつて暮らした松原団地を中心に、30年のあいだで移り住んできた14か所を訪れて撮影した「歩く眼」(『日本カメラ』10〜12月号)発表。写真展「歩く眼〈1〉」(銀座ニコンサロン)、「歩く眼〈2〉」(新宿ニコンサロン)を同時開催。超大型ポラロイドカメラで作品を制作、「遊戯」(『カメラ毎日』1983年12月号)として発表。
  • 1985年 - 10年ぶりに深瀬写真館で「家族」を制作再開、以降1989年まで撮影を続ける。
  • 1986年 - 写真集『鴉』(蒼穹舎)刊行。
  • 1987年 - 1月、父・助造死去、享年74。
  • 1988年 - 「父の記憶」(銀座ニコンサロン、3〜4月)を開催。
  • 1989年 - 深瀬写真館が廃業となる。母みつえは特別養護老人ホームに入居、弟夫妻は離婚、妹夫妻は札幌に移り、事実上の一家四散となる。
  • 1990年 - 個展「私景 旅の便り」(銀座ニコンサロン、11〜12月。大阪ニコンサロンに巡回)を開催。
  • 1991年 - 写真集「父の記憶」「家族」(共にIPC)刊行。
  • 1992年 - 石川佳世子と離婚。写真展「私景'92」(銀座ニコンサロン、2〜3月)開催。6月20日の深夜、新宿ゴールデン街にある「南海」の階段から泥酔して転落、脳挫傷のため重度の障害を負う。以降、特別養護老人ホームで介護を受けながら過ごす。二度とカメラを手にすることはなかった。
  • 2012年 - 6月9日脳出血で死去。享年78[1]

受賞歴[編集]

写真集[編集]

  • 『遊戯』中央公論社、1971年
  • 『洋子』朝日ソノラマ、1978年
  • 『ビバ! サスケ』ペットライフ社、1978年
  • 『サスケ、いとしき猫よ』青年書館、1979年
  • 『猫の麦わら帽子』文化出版局、1979年
  • 『空海と高野山』1982年
  • 『Black Sun: The Eyes of Four』Aperture、1986年(共著)
  • 『鴉』蒼穹舎、1986年12月15日
  • 『父の記憶』IPC、1991年
  • 『家族』IPC、1991年
  • 『The Solitude of Ravens』Bedford Arts、1991年6月(『鴉』英語版)
  • 『日本の写真家34 深瀬昌久』岩波書店、1998年
  • BUKUBUKU』hysteric glamour、2004年
  • hysteric twelve 歩く眼』hysteric glamour、2004年
  • 鴉 Solitude of Ravens』RAT HOLE、2008年
  • 屠 Slaughter』SUPER LABO、2015年
  • Wonderful Days』roshin books、2015年
  • Hibi』Mack、2016年
  • Afterwords』roshin books、2016年
  • Ravens』MACK、2017年
  • Masahisa Fukase』Editions Xavier Barral(英語版・仏語版)赤々舎(日本語版)、2018年

対談集・評論・他[編集]

「アッジェと愛犬ベレニス」
「人生コースを変えたパールⅡ型 深瀬昌久」
  • 『日本の聖域 (2)』佼成出版社、1982年6月(日野西真定との共著)
  • 長谷川明『写真を見る眼 戦後日本の写真表現』青弓社、1995年
評論「深瀬昌久『洋子』――私風景の彼方に」
  • 『風の猫』1996年6月(梅津ふみ子、武田花との共著)
  • 西井一夫『写真的記憶』1997年
批評「深瀬昌久『父の記憶』」
「わからない写真家大いに語る」荒木経惟×森山大道×深瀬昌久
「森山大道・深瀬昌久氏への77の質問」
「深瀬昌久 “私”という病」
  • 『スーパー・イメージの世界』青弓社 ISBN 978-4-7872-7003-0
  • 大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家が描いた軌跡』
「写真の殉教者―深瀬昌久」
  • 飯沢耕太郎、瀬戸正人『追悼 深瀬昌久 「私」とは何か?』
アサヒカメラ2012年8月号
「深瀬昌久氏との対話」
日本カメラ2015年6月号

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]