深大寺そば

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深大寺そば(じんだいじそば)は、東京都調布市にある深大寺周辺に伝わるそば

現在は深大寺の門前を中心に20数店舗[1]が営業している。

歴史[編集]

由緒はいくつか存在するが、調布市観光協会によると、江戸時代、土地が米の生産に向かなかったため小作人が蕎麦を作って、蕎麦粉を深大寺に献上した。それを寺側が蕎麦として打ち、来客をもてなしたのが始まりといわれる。

深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王はこの蕎麦を非常に気に入っており、「献上蕎麦」でもあった。また、徳川第三代将軍徳川家光は、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って蕎麦を食べ、褒めたとされている。

享保の改革時には、地味の悪い土地でも育つ蕎麦の栽培が深大寺周辺で奨励された。

江戸時代後期には太田蜀山人が巡視中に深大寺そばを食し、それを宣伝すると知名度が上がり、文人や墨客にも愛されるようになった。『江戸名所図会』にも「深大寺蕎麦」が記載されるなどして更に名が広まり、生産も増えていった。

国分寺崖線沿いにあるため、水はけが良く蕎麦栽培に適しているだけでなく、蕎麦の打ちや締めに使われる良質な湧き水が豊富だったことも、そばの名所を支えた。昭和初期にも井上靖松本清張ら文化人が来訪した。1950年代まで、店として営業していたのは深大寺門前の元祖嶋田屋(幕末の文久年間創業)のみで、来店客が来てから石臼で蕎麦粉を引き始めていた。

1961年に開園した神代植物公園のために農地が譲渡され、蕎麦畑は姿を消した。深大寺の参拝客に植物園来園者が加わって人通りが増え、そば店が増えた。上記の事情で、深大寺周辺で栽培された蕎麦から作る地粉は入手できないため、各店は北海道や青森県、長野県などから蕎麦を仕入れている[2]

昭和時代から次第にそば屋は増えていったが、そばの種は質を良くするため福井県栃木県から仕入れていた。1987年よりそのことを危惧した人々が深大寺そばの栽培を開始。

JAS表示偽装事件[編集]

2010(平成22)年4月14日、東京都三鷹市の製粉業者が書類送検[3]された。この製粉業者が東京都調布市内の飲食店に販売した「深大寺そば」が、実際には認定を受けていないにも関わらず不正にJASマークを付けており、尚且つ東京都福祉保健局と関東農政局から是正指導を受けた[4]後もJASマーク付き商品の販売を続けたとして関東農政局が刑事告訴していた[5]。この事件により、農林水産省などが「そば加工品の表示に関する特別調査」を全国的に実施する事になった[6]

脚注[編集]

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