淀川橋梁 (城東貨物線)

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淀川橋梁
鉄道橋(左側)人道橋(右側)
全景
閉鎖予告の看板(東淀川区側)
廃止を受けて多くの鉄道ファンが集まった淀川橋梁。(2013年10月)
複線化工事中の淀川橋梁。(2016年4月)

淀川橋梁(よどがわきょうりょう)は、大阪市東淀川区東淡路1丁目と都島区大東町3丁目を結び[1]淀川に架かる、西日本旅客鉄道(JR西日本)城東貨物線鉄道橋である。通称赤川鉄橋[2]、地元では「じゅうはちもんてっきょう」、「あかがわのてっきょう」とも呼ぶ[3]。また、正式名称は、城東貨物線淀川橋梁という[1]

概要[編集]

本橋は城東貨物線の建設に伴い1929年昭和4年)に架橋された。架橋当時より複線幅で建設されていたが、当面の輸送量にかんがみて下流側のみ線路が敷設され単線で運行されていた[2][1]。 余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いの赤川仮橋(あかがわかりばし)[1]と呼ばれる木造の歩道部分を設置し[4]2013年(平成25年)10月31日まで鉄道道路併用橋として使用されていた。淀川橋梁は第二次世界大戦の戦火を耐え抜き、赤川仮橋は地域住民の生活道路となっていた[2]

この赤川仮橋からは、淀川に生息する野鳥やヨシが茂るワンドの様子が、河岸からとは別の角度から観察できるなど、独特の景色を楽しむことができた[3]。また、21世紀に入ってから床部分に鉄板を敷く改修を行うなどしたことで[2]、地域住民から「歩きやすくなった」等と高評価を受けていた[2]

2019年平成31年)春予定のおおさか東線北梅田 - 放出間)の開業に向けて、本橋を含む城東貨物線は複線化されることとなった。 鉄道複線化に伴う歩道部分の閉鎖時期は2013年(平成25年)秋の予定[3][2]とされていたが、7月30日、大阪市は10月31日をもって閉鎖すると発表した[5]。地域住民から長らく愛されてきた[2]、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景は、同日惜しまれつつその幕を閉じた[6]

複線化の工程は、橋梁の老朽化が進んでいるので歩道部分に新しい線路を敷設し、現在線をこちらに切り替えてから従来の線路を再整備することになっている。かつて計画されていた代替の人道橋の架設予定は大阪市の財政難などにより中止されたため、閉鎖後は上流約930mの地点にある菅原城北大橋に迂回する必要がある[2]

橋脚の一部には第二次大戦中P-51マスタング機銃掃射よる弾痕の痕跡などが残されている他、たもと付近にはB-29の空襲による被弾によって発生したクレーターなどが池となった通称爆弾池がワンドの一部となって残されている。

現在は蒼白色であるがかつては赤褐色(いわゆる錆止め色)だった。

諸元[編集]

  • 形式 複線下路ワーレントラス
  • 橋長 610.739m(延長597m・幅8m50cm:東淀川区史による)
  • 径間 31.619m
  • 橋脚中心間隔 34.058m
  • 径間数 18連
  • 完成 1929年昭和4年)[2]3月15日
  • 設計 鉄道省

赤川鉄橋が舞台として登場した作品[編集]

アクセス[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度43分59.48秒 東経135度31分31.33秒 / 北緯34.7331889度 東経135.5253694度 / 34.7331889; 135.5253694