海牛目
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海牛目 | ||||||||||||||||||||||||
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![]() ジュゴン Dugong dugon
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Sirenia Illiger, 1811[1] | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
海牛目[2] |
海牛目 (Sirenia) は、哺乳綱に分類される目。別名カイギュウ目、ジュゴン目[3]。
分布[編集]
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ジュゴンはインド洋、太平洋に生息しており、マナティーは大西洋、フロリダ、アマゾン川など大西洋に注ぐ河川に生息している。
日本の南西諸島に少数のジュゴンが生息するが、これはジュゴン分布域の北限である。
絶滅したステラーカイギュウは、ベーリング海を中心に生息していた。
形態[編集]
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水中生活に適応して前脚が鰭(ひれ)になっており、後ろ脚は退化し胴体に隠れてしまっている。
草食性の海生獣に特有の問題としてエサとなる植物を胃内で発酵させることによって発生するガスの問題があった。大量のガスが体内にたまり比重が小さくなることによって、潜水・遊泳は困難となる。この動物たちは、他の動物よりも比重の高い骨格を備えることで、この問題に対応していると考えられる。
分類[編集]
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分子系統解析に基づく海牛目の系統的位置[4] |
以下の現生の分類群・英名は、Shoshani(2005)に従う[1]。和名は川田ら(2018)に従う[2]。
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海生の哺乳類には、鯨類、鰭脚類、絶滅した束柱目(デスモスチルス目)、本目である海牛類の4つの代表的グループがある(これらのほかに、ラッコなども海で暮らす哺乳類に数えられる。化石種では有毛目オオナマケモノ類に海生だったと思しき種が幾らか確認されている)。このうち、比較的繁栄した2つのグループ、鯨類と鰭脚類が肉食性であるのに対して、2つの小さなグループ、ジュゴン目は草食性、束柱目の食性は今なお不明(一般には草食性中心ではないかとされる)である。
一見アザラシ類やイルカ類と姿が似ているが、カイギュウ類とこれら鰭脚類やクジラ類との間に系統的な類縁関係はなく、収斂進化である。
始新世のはじめに、近蹄類の1種から分岐したと考えられるが、同じく近蹄類から派生したと考えられるゾウ目(長鼻目)と近縁であり、ゾウ目から直接分岐したとする説もある。ゾウ目、ジュゴン目と、同様に近縁の束柱目は、テチス海周囲で初期の放散を開始したと見られ、「テチス獣類(テチテリア Tethitheria)」という上位クレードにまとめられる。
ジュゴン目の最古の化石は、ジャマイカの始新世の地層で発見されたペゾシーレン(ペゾシレン)Pezosiren である。ペゾシーレンは、水生に適応しながらも、四肢を持ち、陸上での体重負荷に耐える関節を残していたと見られる[5]。
生態[編集]
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ジュゴン科とマナティー科の2科に分かれるが、いずれも暖かい地域の浅海に生えるアマモなどの海草類を主なエサとする。アマモは藻類ではなく、単子葉類の顕花植物であり、陸上の草に近い植物である。分布域が主に熱帯から亜熱帯に限られていること、進化史上あまり繁栄しなかったこと(中新世・鮮新世にはそれなりに多様化を遂げているが)は、アマモ類の生息状況による制限があったためである。
- ステラーカイギュウ
- ジュゴン科のうちの1系列は、中新世以降の地球の寒冷化の際に、分布域が狭まったアマモ類から、増え始めたコンブ類などに食性を広げ、体を大型にすることで、冷たい海に適応した。かつて北太平洋に分布したが、ベーリング海の一部海域まで分布域を狭めた末に乱獲によって1760年代に絶滅したステラーカイギュウは、このタイプのカイギュウ類の最後の1種であった。なお、脊椎動物の歴史において、海藻類という非常に歴史の古い豊かな蛋白源を積極的に利用するものは、この寒冷適応型のカイギュウ類以外、ほとんど知られていない(他にはウミイグアナがいる程度である)。
- ステラーカイギュウ亜科
- 通常、同じジュゴン科でも、ジュゴンなど暖海性のカイギュウ類のグループを「ジュゴン亜科 Dugonginae 」、ステラーカイギュウなど寒冷適応型のカイギュウ類を「ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae 」として区別するが、後者は歯の退化や前足の指の消失など、マナティー類とも暖海性のジュゴン類とも大きく異なった特徴をもっており、「ダイカイギュウ科」として、1科を立ててジュゴン類と分ける説もある。
日本での化石[編集]
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海牛目(海牛類)は、マナティーを指す「海牛(カイギュウ)」から来ている。「マナティー」の名が一般化した現在、現生のマナティーがこの名で呼ばれることはほとんどなくなったが、絶滅種のステラーカイギュウをはじめ、化石種の多くにも「○○○カイギュウ」の名が付けられ、これら絶滅種は「カイギュウ(類)」と呼ばれることが多い。
日本では約30か所でカイギュウ類の化石が発見されている。発見地の約20か所は北海道であり、ステラーカイギュウと同じ寒冷適応系のカイギュウ類が多い。
- キタヒロシマカイギュウ
- 北海道石狩振興局管内北広島市から発見。世界でただ1体のステラーカイギュウ化石だったが、後に房総半島でもステラーカイギュウの化石が発見された。正式名称は、ステラーカイギュウ北広島標本。体長約7m。約100万年前。
- ヤマガタダイカイギュウ
- 1978年8月、山形県西村山郡大江町用(よう)の最上川河底の岩盤から小学生が発見。体長約3.8m。約800万年前。学名:Dusisiren dewana。
- アイヅタカサトカイギュウ
- 1980年、福島県喜多方市高郷町(旧・耶麻郡高郷村)塩坪の阿賀川畔で発見。体長約3.7m。約800万年前。ステラーカイギュウ亜科アイヅタカサトカイギュウ属、学名 Dusisiren takasatensis 。
- タキカワカイギュウ
- 1980年8月、北海道空知総合振興局管内滝川市を流れる空知川で発見。北海道のカイギュウ化石研究の嚆矢。後に道東地方でも同種の化石が発見されている。体長8m以上。約500万年前。
- ピリカカイギュウ
- 1983年夏、北海道檜山振興局管内今金町美利河地区で、美利河ダムの建設工事に伴う取り付け道路から発見。復元されたものとしては、世界最大のカイギュウ化石。体長8m以上。約120万年前。ステラーカイギュウ属。
- ショサンベツカイギュウ
- 1967年、北海道留萌振興局管内苫前郡初山別村で発見された、日本初のカイギュウ化石。ただし、その後地元小学校の理科準備室で長らく保管され、研究者によってカイギュウと確認されたのは1990年。非常に珍しい、出産直前の胎児を伴う妊娠個体の化石であった。また、カイギュウ発見地点としては国内最北だが、寒冷適応系ではなく、現生のジュゴンと同じく温暖な海に棲むカイギュウ類だった。母親約3.6m、胎児約1.5m。約1,100万年前。
- 2003年8月、札幌市南区砥山の豊平川河床から、1,000万年 - 750万年前のカイギュウ化石(肋骨と胸骨)が発見された。寒冷適応型カイギュウでは日本最古。後期中新世(1,100万年前-530万年前)。
画像[編集]
出典[編集]
- ^ a b Jeheskel Shoshani, "Order Sirenia," Mammal Species of the World, (3rd ed.), Volume 1, Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (ed.), Johns Hopkins University Press, 2005, Page 92 - 93.
- ^ a b 川田伸一郎他 「世界哺乳類標準和名目録」『哺乳類科学』第58巻 別冊、日本哺乳類学会、2018年、1 - 53頁。
- ^ 田隅本生 「哺乳類の日本語分類群名,特に目名の取扱いについて 文部省の“目安”にどう対応するか」『哺乳類科学』第40巻 1号、日本哺乳類学会、2000年、83 - 99頁。
- ^ Tabuce, R.; Asher, R. J.; Lehmann, T. (2008). “Afrotherian mammals: a review of current data”. Mammalia 72: 2–14. doi:10.1515/MAMM.2008.004. オリジナルの24 February 2021時点におけるアーカイブ。 2017年6月19日閲覧。.
- ^ Doming, D.P. (2001). “The earliest known fully quadrupedal sirenian” (PDF). Nature 413 (6856): 625-627. doi:10.1038/35098072. ISSN 0028-0836 .