浜松国際ピアノコンクール

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コンクールのポスターとアクトシティ浜松(2009/10)

浜松国際ピアノコンクール(はままつこくさいピアノコンクール、Hamamatsu International Piano Competition)は、静岡県浜松市アクトシティ浜松を会場として3年に1度開催されるピアノコンクール。浜松市および財団法人浜松市文化振興財団が主催し、外務省文化庁、静岡県のほか新聞社放送局、音楽書籍出版社などが後援する。

概要[編集]

現在では、国際音楽コンクール世界連盟に加盟する国際コンクールである。第1回大会は浜松市市制施行80周年を記念して1991年(平成3年)に開催され、若手ピアニストの育成を図るとともに楽器の街から音楽文化の街への昇華を図る近年の浜松市政の代表的なものとなっている。第1回審査委員長は小林仁、第2回審査委員長は安川加寿子。安川の没後に中村紘子が後任に選ばれてからは、課題曲、審査員、コンテスタントの人選が以前よりも変化に富み、コンテスタントのレベルや選べるコンチェルトも次第に上がっていった。開始当初、レパートリーやコンチェルトの選曲の異様な狭さが問題となっていた。

開始当初はピアノの「ビッグスター」あるいは「スーパースター」が来場することで有名で、彼らはその後に国際コンクールの主要タイトルを連取した。ショパン国際ピアノコンクール[1]ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者[2]すら複数名も輩出し、予選落ちですらチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門の優勝者[3]クリーブランド国際ピアノコンクール[4]ソウル国際音楽コンクールピアノ部門[5]の優勝者を出すなど、華やかな激戦が繰り広げられた。ただし、中村紘子が審査から退任後は国際コンクールの「周遊組」が目立つようになり、2012年は優勝こそイリヤ・ラシュコフスキーであったものの、彼はその後チャイコフスキー国際音楽コンクールに失敗し、第二位第三位受賞者もことごとくメジャー国際コンクールで落選した。2015年度はヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門、ショパン国際ピアノコンクールブゾーニ国際ピアノコンクールの予選落ち同士が本選で対決するなど、レヴェルの膠着化が顕著になってきている。

現時点で「メジャーデビュー」を成功させた優勝者は、チョ・ソンジンだけである。これも「メジャーデビューが難しい」とされているヴァン・クライバーン国際コンクールの在り方に酷似しているが、ツアーが3年ついて回るということはない。また、予選で落ちた人物の演奏CDを販売しており、人気のあるコンテスタントは即SOLD OUTになるなど、市民にピアニストの音が根付く仕掛けが施されている。

特徴[編集]

小林仁[6]安川加寿子[7]中村紘子[8]海老彰子小川典子といった20世紀のピアノ協奏曲の名人が審査委員長になったため、近現代作品の選曲に非常に寛大なのが特徴である。暗譜で演奏される新作課題曲も、第9回はかなりの難曲が用意された。第10回はバルトークのピアノ協奏曲の第2番やラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲も選曲できる。第10回からはモーツァルトの協奏曲は選曲できなくなっている。

沿革[編集]

  • 1991年(平成3年) - 第1回大会・会場は浜松市民会館(現・浜松市教育文化会館
  • 1994年(平成6年) - 第2回大会・この大会から会場をアクトシティ浜松に移す
  • 1997年(平成9年) - 第3回大会
  • 1998年(平成10年) - 国際音楽コンクール世界連盟への加盟が承認される
  • 2000年(平成12年) - 第4回大会
  • 2003年(平成15年) - 第5回大会
  • 2006年(平成18年) - 第6回大会
  • 2009年(平成21年) - 第7回大会
  • 2012年(平成24年) - 第8回大会
  • 2015年(平成27年) - 第9回大会

過去の優勝者[編集]

日本人受賞者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ チョ・ソンジン、ラファウ・ブレハッチ
  2. ^ オルガ・ケルンアレクサンドル・コブリン
  3. ^ デニス・マツーエフ
  4. ^ マルチナ・フィジャク
  5. ^ マリヤ・キム
  6. ^ ブーレーズのピアノソナタ第一番の日本初演者
  7. ^ ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲の日本初演者
  8. ^ 矢代秋雄のピアノ協奏曲の初演者

外部リンク[編集]