浅野一摩
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浅野 一摩(あさの かずま、1852年〈嘉永5年〉4月 - 1934年〈昭和9年〉10月)は、日本の剣術家。流派は津田一伝流。称号は大日本武徳会剣道範士。
経歴[編集]
久留米に生まれ、津田一左衛門正之に入門、津田一伝流の印可を受ける。
1894年(明治27年)、日清戦争中の広島大本営で開かれた天覧試合に出場する。
1896年(明治29年)、第2回武徳祭大演武会に出場。高野佐三郎に敗れる。
1897年(明治30年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。この年授与された人物は浅野一摩、柴江運八郎、内藤高治、下江秀太郎、鈴木重信の5名であった。
1899年(明治32年)、第4回武徳祭大演武会に出場。中山博道に敗れる。
1905年(明治38年)、大日本武徳会から剣道教士号を授与される。
1911年(明治44年)、大日本帝国剣道形制定の委員を務める。
1918年(大正7年)、大日本武徳会から剣道範士号を授与される。
兄の浅野彰太も有名な剣客であった。彰太の弟子に小城満睦がいる。
参考文献[編集]
- 『月刊剣道日本』1976年11月号、スキージャーナル