津軽選挙

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津軽選挙(つがるせんきょ)は、青森県津軽地方で頻発する金権選挙である。

概要[編集]

津軽地方で起こる政争で、同県南部地方の政争や八戸市八戸戦争と対比されることが多いが、津軽選挙は物質主義から発生する個人主義、さらに派生して利己主義といった理由から小規模であることが多い。しかし一方で件数は非常に多く、自治体運営に大変な混乱や支障を招いたケースが散見される。

手口としては陰での贈収賄買収といった一般的な汚職の他に、地縁も血縁も関係なく現金を配る、有権者に配るビラに現金をしのばせる、といった金を配るのが当たり前のような選挙活動が挙げられる。

近年の選挙浄化の視点や小選挙区比例代表並立制の導入、県政レベルでのバランス感覚といった面から影を潜めつつあるが、未だに完全に無くなってはいないのが現状である[1]。以下に代表例を列挙する。

警察沙汰になった事例[編集]

これらを詳細に記録した書物も数多く出版されている[1][4]

巧妙な手口[編集]

津軽選挙では開票作業者が票を食べることによって得票数をごまかしたり、おにぎりに紙幣を隠したりしていた。また、孫がおばあちゃんに自転車を買ってとねだると「もうすぐ選挙があるから、ちょっと待て。選挙が終わったら買ってあげる」と返答され、実際に選挙後に自転車を買ってもらった逸話が存在する[1]

また、伊奈かっぺいは『土曜ワイド』でこう語っている。「定数20に対して、立候補者も20人で無風選挙が続いていたので、その20人が1人100万円ずつ出して、計2000万円を新たに立候補しようとした人に渡して、立候補しないことになったこともあります。なぜか。選挙になったら、100万円では済まないので、100万円ずつの方が費用はかからないからです。私は、その町を知っています[5][6]

旧田沢・竹内派と木村派の抗争史[編集]

津軽選挙は、戦前には既に兆候があった。初代民選青森県知事となる津島文治は、地元旧金木町の名家である津島家の出身で、弟の太宰治(津島修治)は時代の寵児となっていた。文治が衆議院総選挙に初当選した際、料亭で酒盛りしつつ金木町長と軍資金を分配し、その結果酔った町長が2階から小便をしたために警官の頭にかかった。連れて行かれた交番で札束が町長の懐から落ちて御用となり、文治は留置場で当選を辞退する羽目になっている。戦後は昭和の大合併によりポストが激減し、生活手段を巡って「カネのかかる選挙」が常態化した。八戸戦争との最大の違いは、財政出動による恩恵を受けなかった「反体制派」や「抵抗勢力」が徹底的に粛清されたことであった[1]

中選挙区時代は非常に津軽選挙の色合いが濃く、権謀術数が絡み複雑な政略が展開された。「待ちの政治家[7]竹内俊吉新知事は青森空港の新空港建設にあたり鶴田町弘前市の境界地域に移転させる予定であったが[8]、盟友・田沢吉郎(津島文治の娘婿)が旧浪岡町青森市の境界地域に存在した旧空港周辺の大地主であったこともあり、俊吉の息子の竹内黎一との選挙協力の観点から動けず、俊吉の側近であった北村正哉新知事により最終的に移転が撤回されている[9][10][11]

一方旧青森2区は「田竹時代」の田沢と黎一に加え日本共産党津川武一日本社会党山内弘が犇めく激戦区であり、そこに木村守男が割って入る状況であった。このため第39回衆議院議員総選挙では国会で入閣適齢期とされていた黎一が地元で「足フパリ」と呼ばれる強烈なネガティブ・キャンペーンを受け落選するという事態が生じている[12]。その後木村は北村の五選を阻止し、青森県知事に就任する。

2001年、木村は「新世紀にふさわしい県民歌を」として、「田竹時代」の1971年に県成立100周年を記念して制定された「青森県賛歌」の廃止と新県民歌の制定を提唱した。木村が田沢・竹内色の一掃を企図して意欲を見せていた「青森県賛歌」廃止に対しては県議会で異論が相次ぎ、木村が提唱した新県民歌に関しては「青い森のメッセージ」が制定されたものの当初は廃止の方針が示されていた「青森県賛歌」は存続が決定した。しかし、県勢要覧や県民手帳には「青い森のメッセージ」のみが掲載されるようになり「青森県賛歌」は実質“封印”状態とされたまま現在に至っている[13]。そうした状況の中で、2003年に今日「県政史上最大の政治決戦」であったと位置づけられる木村の女性スキャンダルが発覚する。この政争は旧田沢・竹内派津島雄二(太宰治の娘婿)と木村派木村太郎(木村守男の息子)の争いでもあった。詳細は八戸戦争を参照。

なお、2011年平川市選挙区における青森県議選や2013年の平川市長選でも抗争が再燃した形となった[14][15][16]。このうち平川市長選について、当選した長尾忠行市長側(旧田沢・竹内派)から3人、落選した大川喜代治前市長側(木村派)から2人の計5人の平川市議が、2014年2月19日公職選挙法違反容疑で逮捕される事態となるなど[17]波紋が広がっている。同年4月1日には新たに1人の市議、5月1日には落選した大川喜代治前市長、5月21日には3人の市議、更に7月16日には6人の市議が逮捕され、議員定数20名中15名が逮捕されるという事態に陥った[18]。その後の7月27日に行われた市議会議員補欠選挙では、幸福実現党元公認候補の石田昭弘が投開票の結果当選し、党の初の議席獲得に貢献している[19]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 木村良一 『青森県の政治風土』 北方新社、1997年4月ISBN 978-4-89-297012-2
  2. ^ 朝日新聞デジタル「青森・平川市議 20人中逮捕者15人 公選法違反容疑」2014年7月16日22時37分
  3. ^ Yahoo!ニュース Web東奥 7月17日(木)10時12分配信
  4. ^ 三上靖介 『津軽選挙だ敗者の記録』 路上社、2003年11月ISBN 978-4-89-993021-1
  5. ^ 2012年12月8日土曜日 TBSラジオ 土曜ワイド
  6. ^ 伊奈かっぺいさん「特異な自民王国、どうなるか」
  7. ^ 40年目の始動/東通原発1号機試運転(1)空前の20基構想/竹内知事が決断促す? - 東奥日報、2004年12月20日、2015年6月6日閲覧。
  8. ^ 新青森空港工事誌編集委員会 『新青森空港工事誌』 青森県、1989年3月
  9. ^ なお新空港は旧空港に比べてやや浪岡側に位置するため、工事計画ではできるだけ青森側に位置するよう修正されている。
  10. ^ その後浪岡と青森は合併し中核市に移行しているが、この時も津軽選挙に由来して浪岡町政が大混乱に陥っている。怪文書も出た。
  11. ^ 南部地方の三沢飛行場の民間機運航機能も一時期八戸飛行場に移っているが、現在は青森県立三沢航空科学館も整備され固定的になっている。なお北村は三沢市の出身である。
  12. ^ なお津軽地方と南部地方が混在する旧青森1区も酷く、青森市出身の候補の落選が相次いでいる。
  13. ^ 「青森県賛歌」の制定は例規集に掲載されているが、県のサイト内のその他のページでは紹介されていない。
  14. ^ 平川市/大鰐、尾上の集票が鍵(2-3)
  15. ^ 自民県連:木村会長が辞任 平川市長選の推薦巡る混乱で /青森
  16. ^ 都知事選並みの激戦? 派閥争い渦巻く平川市長選、合併も混乱要因…
  17. ^ 青森・平川市長選:市議5人を逮捕 公職選挙法違反容疑
  18. ^ 市議20人中、逮捕者15人! 青森・平川市長選公選法違反容疑 MSN産経ニュース 2014-7-16
  19. ^ 党籍を持つ推薦では初。推薦候補では、2011年に谷村悠介が鳥取県議会で当選している。