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津和野百景図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『津和野百景図』
第一図 三本松城
作者栗本格齋
製作年1910
寸法30 cm (12 in)

津和野百景図(つわのひゃっけいず)は、津和野藩第11代藩主・亀井茲監(かめいこれみ)公の業績を集大成した「以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)」に収められていた、江戸時代後期の津和野を描いた100枚の絵図である[1]

1910年(明治43年)4月に津和野藩の御数寄屋番の栗本格齋(本名:栗本里治)[2]が4年の歳月をかけ百景図(全5巻)を完成させた。

2015年(平成27年)に文化庁により、この「津和野百景図」と、現在の津和野の姿とを見比べながらまち歩きを楽しむというストーリーが日本遺産に認定された[3]

概要

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石見国津和野藩である亀井家14代目当主亀井茲常(かめいこれつね)が、最後の藩主であった亀井茲監の業績をまとめさせた「以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)」、その中に収められた文書のひとつが津和野百景図である。藩内の名所や風俗、食文化などを100枚の絵と詳細な解説を加えた全5巻[4]の構成となっている。1巻の幅は約30㎝、広げると長さは約10メートルになる[5]

津和野百景図は、藩主の側に仕えて茶礼と茶器を扱う仕事(御数寄屋番)を努めた栗本格齋が、亀井家の依頼を受けてまとめ[6]1917年(大正6年)7月に完成させた[7]

鷺舞」「流鏑馬」「津和野城跡」「津和野藩校養老館」など、津和野ならではの街並みや伝統行事、桜や紅葉の名所、鮎が泳ぐ川など自然景観を残した資料である[3]

沿革

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栗本格齋は1845年(弘化2年)に生まれ、後に栗本家の養子となり、津和野藩に御数寄屋番として仕えた。廃藩後、1896年(明治29年)に津和野を出て京都へ移った[8]。津和野百景図は、京都に栗本格齋が移り住んだ後に亀井家14代当主亀井茲常からの依頼で描かれたものである。

津和野百景図の各絵図裏面の解説文には1910年(明治43年)、1911年(明治45年)、1913年(大正2年)の月が示されていることから、1910年から1913年の4年間で描かれたことがわかり、津和野百景図の序文から、1917年(大正6年)7月までにまとめられたことがわかる[9]

津和野百景図は亀井家が所蔵した「以曽志乃屋文庫」に収められ、2002年(平成14年)に亀井氏から津和野町教育委員会に寄贈された[10]

目録

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津和野百景図の目録は以下の通りである[11][12]

タイトル よみがな
第一帖 三本松城 さんぼんまつじょう
三本松城出丸 さんぼんまつじょうでまる
御城坂吉野杉 おしろざかよしのすぎ
勢留り せいだまり
城山の松茸 しろやまのまつたけ
半峯亭 はんぼうてい
侯館前の射場 こうかんまえのしゃば
釣月 つりづき
侯家庭園内の蘇鉄 こうけていえんないのそてつ
侯家庭園の梅林 こうけていえんのばいりん
十一 御園内の花菖蒲 ごえんないのはなしょうぶ
十二 藩侯館前 はんこうかんまえ
十三 藩侯邸前より中嶋米廩を望むの図 はんこうていまえよりなかじまこめぐらをのぞむのず
十四 藩侯館錦川のいだ はんこうかんにしきがわのいだ
十五 御屋敷北の御門 おやしききたのごもん
十六 彌榮神社 やさかじんじゃ
十七 祇園會鷺舞 ぎおんえさぎまい
十八 祇園會車藝 ぎおんえくるまげい
十九 祇園會に扮する流鏑馬 ぎおんえにふんするやぶさめ
二十 祇園會通り物の内エゝ聟 ぎおんえとおりもののうちええむこ
第二帖 二十一 太皷谷稲成社 たいこだにいなりしゃ
二十二 大橋 おおはし
二十三 殿町 とのまち
二十四 養老館内馬術練習 ようろうかんないばじゅつれんしゅう
二十五 牧氏の孟宗竹 まきしのもうそうだけ
二十六 殿町総門 とのまちそうもん
二十七 永明寺坂 よいうめいじざか
二十八 覚王山永明寺 かくおうざんようめいじ
二十九 蕪坂 かぶさか
三十 はら
三十一 常盤橋 ときわばし
三十二 鷲原口屋外と わしばらくちやそと
三十三 鷲原崖の端 わしばらがけのはし
三十四 鷲原大夜燈 わしばらだいやとう
三十五 鷲原八幡宮其の他 わいばらはちまんぐうそのた
三十六 鷲原のやつさ わしばらのやつさ
三十七 鷲原愛宕神社の大杉 わしばらあたごじんじゃのおおすぎ
三十八 鷲原馬場 わしばらばば
三十九 鷲原の桜 わしばらのさくら
四十 鷲原の紅葉 わしばらのこうよう
第三帖 四十一 鷲原時雨の松 わしばらしぐれのまつ
四十二 鷲原片枝の松 わしばらかたえだのまつ
四十三 鷲原幸栄寺 わしなばらこうえいじ
四十四 幸栄寺の隠棲 こうえいじのいんせい
四十五 喜時雨崖 きじゅうがけ
四十六 喜時雨庄屋の前 きじゅうしょうやのまえ
四十七 縣社津和野神社 けんしゃつわのじんじゃ
四十八 瓦釜の松 かわらがまのまつ
四十九 喜時雨瓦釜脇仮橋 きじゅうかわらがまわきかりばし
五十 喜時雨寛助谷 きじゅうかんすけだに
五十一 幾久鴨御猟場 いくさかもごりょうば
五十二 藩侯幾久鴨御猟略供 はんこういくさがもごりょうりゃくきょう
五十三 幾久の峠 いくさのとうげ
五十四 高田の四方藪 たかたのしほうやぶ
五十五 高田山のほとゝぎす たかたやまのほととぎす
五十六 白糸の滝 しらいとのたき
五十七 神田潜り岩 じんでくぐりいわ
五十八 茶臼山 ちゃうすやま
五十九 陶ケ嶽 すえがたけ
六十 野坂 のさか
第四帖 六十一 桂川の川柳 かつらがわのかわやなぎ
六十二 中座庚申堂 なかざこうしんどう
六十三 高崎邸 こうさきてい
六十四 高崎の松 こうさきのまつ
六十五 横堀米廩 ほこぼりこめぐら
六十六 上中島より原の裏を望む かみなかじまよりはらのうらをのぞむず
六十七 鳴滝 なるたき
六十八 堀内御番所の景 ほりうちごばんしょのけい
六十九 森の本町下モ手 もりのもとまちしもて
七十 森総門 もりそうもん
七十一 松林山天満宮 しょうりんざんてんまんぐう
七十二 天神祭 てんじんさい
七十三 三軒屋の夕立 さんげんやのゆうだち
七十四 寺田の蛍狩 てらだのほたるがり
七十五 松尾谷の景 まつおだにのけい
七十六 七曲りの釣魚 ななまがりのつりうお
七十七 小直の雄瀧 おただのおんだき
七十八 小直の雌滝 おただのめんだき
七十九 龍法師の塒 りゅうぼうしのねぐら
八十 妹山の景 いもやまのけい
第五帖 八十一 青野の景 あおののけい
八十二 青野の虹 あおののにじ
八十三 ごんどうじの蕨 ごんどうじのわらび
八十四 きまんごくの景 きまんごくのけい
八十五 吉賀の猪 よしがのいのしし
八十六 左鐙の香魚 さぶみのあゆ
八十七 枕瀬の渡舩場 まくらせのとせんば
八十八 徳丈の峠 とくじょうのとうげ
八十九 青原驛 あおはらえき
九十 横田の渡船場 よこたのとせんば
九十一 高津の渡船場 たかつのとせんば
九十二 高津人麻呂神社 たかつひとまろじんじゃ
九十三 高津の筆柿及筆艸 たかつのふでがきおよびふでくさ
九十四 高津蟠竜湖 たかつばんりゅうこ
九十五 高津連理の松 たかつれんりのまつ
九十六 年始家中出殿 ねんし家中しゅつでん
九十七 正月十五日の黒塗り しょうがつじゅうごにちのくろぬり
九十八 御旗上覧 みはたじょうらん
九十九 盆踊 ぼんおどり
主侯の遠馬 しゅこうのとうま


活用事例

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津和野町日本遺産センター

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2015年4月、「津和野今昔〜百景図を歩く〜」が日本遺産に認定され、同年10月には津和野町日本遺産センターが開館した。

センターでは、津和野百景図の複製展示や説明パネル、現代の写真との比較展示が行われており、百景図に描かれた伝統文化の解説や衣装、映像を通じて、津和野の魅力と歴史を学ぶことができる。 2階は展示スペースとして利用されており、企画展が定期的に開催される。

2022年5月21日に入館者10万人を達成した。[13][14][15]

日本遺産認定に関する沿革

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  • 2015年4月24日 文化庁から「津和野百景図」を素材とした「津和野今昔〜百景図を歩く〜」が日本遺産に認定される[16][17]
  • 2021年7月16日 文化庁より、認定取り消しの可能性がある「再審査」の対象となる[18]
  • 2021年8月26日 行政主体だった津和野町日本遺産推進協議会を発展的に解散し、島根県津和野町商工会など官民6団体により、津和野町日本遺産活用推進協議会を新たに立ち上がる[19]
  • 2022年1月14日 文化庁より日本遺産の「条件付き認定」となる[20]
  • 2025年2月4日 文化庁より日本遺産の「重点支援地域」となる[21]

脚注

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  1. ^ 日本遺産を活用した地域活性化計画:津和野町、2021年
  2. ^ 『津和野百景図』津和野町郷土館、2010年11月20日、6頁。 
  3. ^ a b 日本遺産のまち、津和野”. 2025年3月15日閲覧。
  4. ^ 『津和野百景図』津和野町郷土館、2020年11月20日。 
  5. ^ 「「津和野百景図」原画を展示」『中国新聞』2015年7月16日。
  6. ^ 『日本遺産 時をつなぐ歴史旅』東京法令出版株式会社、2016年6月1日、86頁。 
  7. ^ 『津和野藩ものがたり』山陰中央新報社、2016年3月5日、60頁。 
  8. ^ 『津和野藩ものがたり』山陰中央新報社、2016年3月5日、60頁。 
  9. ^ 『津和野百景図』津和野町郷土館、2010年11月20日、7頁。 
  10. ^ 「津和野百景図原画一堂に」『山陰中央新報』2015年7月16日。
  11. ^ 『津和野百景図』津和野町郷土館、2010年11月20日、12,13頁。 
  12. ^ 日本遺産 津和野~百景図を歩く~”. 津和野町日本遺産センター. 2025年3月15日閲覧。
  13. ^ 日本遺産センター来館10万人達成(令和4年5月21日)”. 島根県津和野町 (2022年5月22日). 2025年3月15日閲覧。
  14. ^ 入館者10万人に 津和野町日本遺産センター」『山陰中央新報』2022年5月21日。
  15. ^ 津和野町日本遺産センター、来場10万人」『中国新聞』2022年5月22日。
  16. ^ 『日本遺産 時をつなぐ歴史旅』東京法令出版株式会社、2016年6月1日、2頁。 
  17. ^ 「津和野今昔 ~百景図を歩く~」  最初の日本遺産認定に” (2015年4月24日). 2025年3月15日閲覧。
  18. ^ 津和野今昔 再審査に 日本遺産「取り組み不十分」” (2021年7月26日). 2025年3月15日閲覧。
  19. ^ 日本遺産継続へ津和野町推進協 官民6団体” (2021年8月27日). 2025年3月15日閲覧。
  20. ^ 津和野今昔、条件付きで日本遺産の認定継続” (2022年1月15日). 2025年3月15日閲覧。
  21. ^ 「津和野今昔~百景図を歩く」日本遺産継続で喜びの声 島根県津和野町内の関係者” (2025年2月5日). 2025年3月15日閲覧。