洞院いん子

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本来の表記は「洞院愔子」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

洞院 愔子(とういん いんし、寛元4年(1246年) - 元徳元年旧8月30日1329年10月1日))は、鎌倉時代女性後深草天皇後宮で、伏見天皇国母女院として玄輝門院(げんきもんいん)。法名は自性智。父は従一位左大臣洞院実雄

来歴[編集]

後深草天皇の後宮に入り、文永2年(1265年)に伏見天皇、文永4年(1267年)に性仁入道親王、文永9年(1272年)に久子内親王(永陽門院)を産む。弘安3年(1280年)に従三位に叙任、正応元年(1288年准三宮となり、院号宣下を受けた。正応4年(1291年)に出家し、自性智と号す。元徳元年(1329年)8月30日、84歳で薨去した。