泰西映画

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泰西映画株式会社
Taisei Eiga Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 消滅
本社所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区大手町2-2
野村ビル314号室
設立 1920年代
業種 サービス業
事業内容 映画の輸入・配給
代表者 福井順一
関係する人物 坂梨健雄
特記事項:略歴
1920年代 創立
1952年 映画輸入配給業務本格化
1960年1月 東急文化会館に吸収合併
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泰西映画株式会社(たいせいえいが-、Taisei Eiga Co., Ltd., 1920年代 創立 - 1960年1月 吸収合併)は、かつて存在した日本の映画会社である。東急レクリエーションの前身の1社である。

略歴・概要[編集]

時期は不明であるが、第二次世界大戦前のサイレント映画の時代、「小山商会映画部泰西映画社」としてロイド・ベーコン監督の『間諜』を公開している記録がある[1][2]

戦後、1952年(昭和27年)8月7日、新東宝との共同配給でロベルト・アドルフ・シュテムレ監督の『ベルリン物語』を公開している[2]ニッポンシネマコーポレーション(NCC)、東和映画(現在の東宝東和)、新外映映配東急文化会館映画部(現在の東急レクリエーション)と共同配給を多く行った[2]

専務取締役であった坂梨健雄が代表取締役に就任し、1960年(昭和35年)初頭に発行された『映画年鑑 1960』には、坂梨を代表取締役として名刺広告を掲載した[3]が、同年3月1日、東急文化会館に吸収合併されて消滅した[4]。東急文化会館は、泰西映画の輸入配給を引き継ぎ、1966年(昭和41年)11月1日、新日本興業に吸収合併され、1969年(昭和44年)6月26日には、新日本興業は「東急レクリエーション」に商号を変更した[4]

おもなフィルモグラフィ[編集]

キネマ旬報映画データベースに見られる配給作品の一覧であり、日本での配給作品のみである[2]。日本公開順。


[編集]

  1. ^ 間諜キネマ旬報映画データベース、2010年8月2日閲覧。
  2. ^ a b c d キネマ旬報映画データベース、2010年8月2日閲覧。
  3. ^ 『映画年鑑 1960』、時事映画通信社、1960年、p.583.
  4. ^ a b 会社沿革東急レクリエーション、2010年8月2日閲覧。