泡瀬飛行場

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泡瀬飛行場
沖縄県沖縄市
座標 北緯26度18分59.00秒 東経127度49分29.30秒 / 北緯26.3163889度 東経127.8248056度 / 26.3163889; 127.8248056
種類 軍用飛行場
施設情報
管理者 アメリカ海軍
歴史
建設 1945年4月~6月
建設者 アメリカ海軍工兵隊
使用期間 1945年
建築資材 Coral


泡瀬飛行場(Awase Airfield/NAB Awase)は、第二次世界大戦中に沖縄県美里村(現在の沖縄市)泡瀬(あわせ)にアメリカ軍によって建設された飛行場。日本本土の爆撃に向けて建設され、実際に南西諸島や九州への航空作戦のために運用された。戦後は飛行場としての役目は失われ、代わりにアメリカ軍の「FAC6046 泡瀬通信施設」として使われた。

歴史[編集]

第二次世界大戦[編集]

沖縄市(当時は美里村)泡瀬がある一帯は、1945年の沖縄戦の早い段階でアメリカ軍に占領された地域である。4月1日に沖縄本島西海岸から上陸したアメリカ軍は3日間で泡瀬を含む東海岸へ到達、沖縄本島を南北に分断して日本軍の動きを制限した。 占領された泡瀬地域には当初、米軍によって収容された民間人の収容所が設置されていたが、4月23日には第36海軍工兵大隊によって、5,000ft(1,524m)の戦闘機用滑走路の建設に向けた測量が始められた。5月から6月上旬にかけての激しい雨期による工事の遅れがあったものの、6月30日にはアメリカ海兵隊の第33海兵航空群(MAG-33)が到着、泡瀬飛行場での活動を開始した[1]。国立国会図書館所蔵の「米国戦略爆撃調査団報告書」にある「海軍・海兵隊陸上機戦闘報告書」[2]には、泡瀬飛行場を拠点として沖縄本島周辺の戦闘空中哨戒、南西諸島や九州南部への攻撃任務を行ったことが記録されている。

米軍が建設した飛行場

配備された飛行隊

泡瀬通信施設[編集]

泡瀬通信施設遠景

終戦によって泡瀬飛行場は飛行場としての役目を終えたが、1950年にアメリカ海軍と空軍がそれぞれ飛行場の敷地に通信施設を建設した。

1967年、アメリカ空軍はOTHレーダーを設置した。これは大陸間弾道ミサイル(ICBM)の探知を目的としたものとされるが、1974年の衆議院外務委員会でOTHレーダーの存在が明らかになった。これが問題化し、1975年にはOTHレーダーが撤去、翌年1976年にはOTHレーダー施設用地約1,014千㎡が返還された。その後も1983年までに1,861千㎡が返還され、返還後は区画整理が行われて市街地化が著しい。

返還された基地跡地の南側には沖縄県総合運動公園が整備され、1987年の海邦国体の主会場となった。

現在、泡瀬通信施設は中城湾に突き出す半島先端の0.552k㎡を海軍が使用しており、第7艦隊との通信などを行っている[4]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Building the Navy's Bases in World War II History of the Bureau of Yards and Docks and the Civil Engineer Corps 1940-1946. US Government Printing Office. (1947). pp. 403–9. 
  2. ^ Records of the U.S. Strategic Bombing Survey, Entry 54: Land-Based Navy and Marine Corps Aircraft Action Reports, 1944-1945”. 国立国会図書館. 2017年6月4日閲覧。
  3. ^ Scutts, Jerry (2003). PBJ Mitchell Units of the Pacific War. Osprey Publishing. p. 82. ISBN 9781841765815. 
  4. ^ 『沖縄の米軍基地』(沖縄県総務部知事公室基地対策室、2003年)325頁。