治山正史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
はるやま まさし
治山 正史
生誕 (1964-12-22) 1964年12月22日(53歳)
日本の旗 岡山県 玉野市
出身校 立教大学経済学部
職業 実業家

治山 正史(はるやま まさし、1964年12月22日 - )は、日本実業家。「紳士服はるやま」「Perfect Suit FActory」「紳士服マスカット」「紳士服モリワン」「フォーエル」などをチェーン展開するはるやま商事社長。

人物・来歴[編集]

岡山県生まれ。「はるやま洋服店」を創業し、関西に紳士服チェーンを築いた父の跡を継ぎ、全国にグループ400店舗以上にまで拡大。趣味はゴルフと読書、座右の銘は「受け継ぎて、国の司の身になれば、忘るるまじきは民の父母」(上杉鷹山)、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」(坂本龍馬)。尊敬する人物は父、秋山好古坂本龍馬。「弊社がなくなると生活が不便だなと思われる『インフラ企業』を目指している」[1]

エピソード[編集]

  • 幼少期はまだ父の事業がまだチェーン化しておらず、実家は商店街の小さな洋服店だった。1~2階が売り場で、3~4階が住居、父母が共働きで切り盛りしていたという。「正史」の名の由来は、母に「正しく生き、歴史をつくれ」と言われたこと。「照れくさいのですが、子どもの頃から今もずっと、歴史に貢献することを考えて生きています」と語っている[2]
  • 地元の岡山大学に進学後、東京に行きたいと考え、立教大学に入学した。父の事業は好調だったが、父は厳しかったため、仕送りはなかった。正史は木造四畳半のアパートで生活し、強い西日があたっても「日焼けサロンの代わりにちょうどいい」とポジティブに考えた。4年間、様々なアルバイトに精を出し、なかでも交通量調査に携わったことを記憶しているという。排ガスで胸が苦しくなり、自動車のナンバープレートを12時間見続け、日当の6000円を眺め「これがおカネを稼ぐことか……」と考え込んだ[2]
  • 1989年伊藤忠商事へ入社し、1994年はるやま商事へ入社、「脚長スーツ」を流行させた。「女性向けに、細身の脚が長く見えるジーンズが売れたので、社内向けにこの形のスーツはつくれないかと提案した。すると周囲は『社長!! ムリムリ、窮屈なスーツが売れるわけありません』と言ったが、オーダーメイド店に頼み、作ってもらうと「ムリと言った社員も含め『カッコイイ!』と言ってくれた」。この経験から、彼はどんな提案でも、面白ければ「やってみよう!」と前向きに話すことが口癖になったと言う。[3]
  • サッカー日本代表チームのユニフォーム素材を使った『アイシャツ』や、花粉などをカットできる『ガイアクリーンマフラー』などを販売し、商品開発の秘訣を問われると「どうせなら、ガッツポーズが出るような仕事がしたいですよね!」と述べた。スピード決断、スピード実行を旨とすることで、同社の特徴である新規性が高い商品開発の速度が上がると言う。「バンバン失敗し、バシバシとジャッジしないと、次が実験できません」と言い、「失敗しても、あとで笑い話になればいいじゃないですか!」とも述べている[2][3]

言葉[編集]

  • 「お客さまに『ありがとう』と言っていただけることは、小売に携わる者の勲章だ」。治山が子どもの頃、夜中、実家の小さな店の扉を誰かが叩いた。眠っていた両親が対応すると、祖父を亡くした若夫婦がいて「礼服がないから、なんとか明朝までに」と言った。両親は「大変だったね」とお茶を出し、礼服を仕上げ、若夫婦は何度も礼をして帰った。この体験から、上記の言葉が生まれた[2]
  • 「一流は、言動だけでなく、その奥にある「無意識」が違う」。数多くのアーティストや、アスリートのパフォーマンスを見るうちに気付いた。「ボクサーが倒され、立ち上がる時、無意識のうちに立ち上がっている人が多いんです。ピアニストも、上手い人は体が演奏を覚えている」[2]

外部リンク[編集]

出典[編集]