河西橋
河西橋(現橋) | |
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基本情報 | |
国 |
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所在地 | 和歌山県和歌山市 |
交差物件 | 紀の川 |
建設 | 1914年(大正3年) |
座標 | 北緯34度14分16.2秒 東経135度9分44.3秒 / 北緯34.237833度 東経135.162306度座標: 北緯34度14分16.2秒 東経135度9分44.3秒 / 北緯34.237833度 東経135.162306度 |
構造諸元 | |
形式 | 上路式プレートガーダー橋 |
材料 | 鋼材 |
全長 | 478.0 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
河西橋(新橋) | |
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基本情報 | |
国 |
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所在地 | 和歌山県和歌山市 |
交差物件 | 紀の川 |
建設 | 2014年(平成26年) - 2023年(令和5年)(予定) |
構造諸元 | |
全長 | 473.0 m |
幅 | 6.0 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
河西橋(かせいばし)は、和歌山県和歌山市にある一級河川紀の川に架かる道路橋である。
概要[編集]
本橋梁は同市西蔵前丁と同市北島を結ぶ和歌山市道市駅湊線の歩行者・二輪車専用橋梁である。 全長478m。形式は上路式プレートガーダー橋である。
本橋梁は元々、南海鉄道加太線(後・南海電気鉄道北島支線)の紀ノ川橋梁(きのかわきょうりょう)であったが、1950年(昭和25年)のジェーン台風により紀ノ川橋梁の橋脚が損傷したことにより、和歌山市駅 - 北島駅間が1953年(昭和28年)休止され、1955年(昭和30年)廃止に至っている。 また、太平洋戦争中には住友金属和歌山製鉄所(現・新日鐵住金和歌山製鐵所)の製品を運搬する貨物列車が、紀ノ川橋梁の強度不足により加太線を走行できなかったため、貨物線として近畿日本鉄道松江線(現・南海電気鉄道加太線)が新たに敷設される経緯に至っている[1]。
廃橋となった紀ノ川橋梁は和歌山市へ譲渡され、道路橋として再利用されている[1]。 現在でもなお、ジェーン台風で損傷した煉瓦製橋脚の1基が傾いたままとなっている[2]。
本橋梁は架橋から100年経っているため、2014年(平成26年)より老朽化に伴う架け替え工事が開始され、2025年(令和7年)度に供用開始予定となっている。 新橋梁は本橋梁の上流側に架設予定であり、全長は473m、幅員は6mとなる[3]。
歴史[編集]
- 1914年(大正3年)9月23日 - 加太軽便鉄道により紀ノ川橋梁が完成。加太軽便鉄道線が全通。
- 1915年(大正4年)5月11日 - 紀ノ川橋梁を通過中の加太軽便鉄道加太行き列車(機関車1両、客車2両、緩急車1両)が全車、強風のため川に転落。職員が負傷した。当時の写真が残っている[4]。
- 1950年(昭和25年)9月3日 - ジェーン台風により紀ノ川橋梁が破損。和歌山市 - 北島間が不通となる。
- 1953年(昭和28年) - 和歌山市 - 北島間が休止となる。
- 1955年(昭和30年)2月15日 - 和歌山市 - 北島間が廃止。紀ノ川橋梁が廃橋となる。
- 時期不詳 - 紀ノ川橋梁が和歌山市に譲渡され河西橋となる。
- 2014年(平成26年) - 本橋梁の老朽化に伴い、架け替え工事開始[5]。
周辺[編集]
- 和歌山市駅
- 北島橋(和歌山県道15号新和歌浦梅原線)
- 紀の川大橋(和歌山県道752号和歌山阪南線)
- 和歌山競輪場
脚注[編集]
- ^ a b 河西橋〜市民の足支える生きた遺産|わかやま昭和散歩 - ニュース和歌山、2008年6月18日[リンク切れ]
- ^ 南海加太線むかしむかし - 一般財団法人和歌山社会経済研究所
- ^ 生活道路(その他市道)の整備「市道 市駅湊線(河西橋)」 - 和歌山市
- ^ 『レイル』No.111(2019年)「室戸台風による瀬田川橋梁急行転覆事故」
- ^ 100年前にできた「河西橋」架け替えへ - わかやま新報、2013年8月15日付