川本杜太郎

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河本 杜太郎
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保11年(1840年
死没 文久2年1月15日1862年2月13日
別名 惟一(諱)、豊原邦之輔(変名)、貫之、章庵、正安、筑川
官位従五位
父母 川本謙輔(柳玄)
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河本 杜太郎(かわもと もりたろう)は、幕末越後国魚沼郡十日町(現・新潟県十日町市)の志士。坂下門外の変で襲撃側に加わり闘死した。名医として知られる尾台榕堂は義伯父(伯母の夫)にあたる。

略歴[編集]

先祖は上野国群馬郡川島村の人で、越後国魚沼郡十日町に医師の子として生まれる。嘉永7年(1855年江戸に遊び、尾台榕堂に医術を、芳野金陵に儒学を、剣術を伊庭軍兵衛に学ぶ。次第に過激な攘夷論に傾き乱暴が多かったため、金陵から破門されて一時は路頭に迷うも、久坂玄瑞大橋訥庵の知己を得て久坂とは一時期同居する。久坂の帰国後は西上し、本間精一郎などと交わる。文久元年(1861年和宮降嫁を知り江戸に戻ったところ、老中安藤信正暗殺の謀議が進んでいたためこれに加わった。翌文久2年(1862年)1月、江戸城外坂下門で登城する安藤の行列を平山兵介小田彦三郎黒沢五郎高畑総次郎河野顕三と共に襲撃するが、同志らとともに闘死した。

参考文献[編集]

  • 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編「河本杜太郎」『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 9784062108003 
  • 田尻佐 編『贈位諸賢伝』 1巻、国友社、1927年、268頁。 
  • 大橋微笑 編『勤王家百傑伝』嵩山堂、1911年、133-137頁。 
  • 国幣中社弥彦神社越佐徴古館 編『越佐維新志士事略』国幣中社弥彦神社越佐徴古館、1922年、10-12頁。