河内王 (奈良時代後期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河内王(かわちおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族官位正五位下丹後守

経歴[編集]

聖武朝天平9年(737年无位から従五位下に直叙される。

天平宝字2年(758年淳仁天皇即位に際して、奉幣を行うために、散位中臣池守らとともに伊勢太神宮に派遣された(この時の官職左大舎人頭[1]。天平宝字3年(759年)22年振りに昇叙されて従五位上になると、天平宝字4年(760年義部大輔、天平宝字6年(762年丹後守に任ぜられている。しかし、天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱連座したらしく官位を剥奪される。

宝亀元年(770年光仁天皇の即位に伴って従五位上に復されると、宝亀3年(772年)には正五位下に叙せられた。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字2年8月19日条

参考文献[編集]

  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1992年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年