沖縄・自衛官爆死事件

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沖縄・自衛官爆死事件(おきなわ・じえいかんばくしじけん)は2003年8月31日沖縄県沖縄市の資材置き場で53歳の男性自衛官一人が爆発による負傷で失血死、後に同自衛官が趣味などで収集していたと見られる多量の武器・弾薬が住宅地のアパート2部屋から発見された一連の事件。

概要[編集]

15時50分頃、沖縄市内の調理師で廃品回収業の男性の所有する資材置き場で、男性の知人である航空自衛隊那覇基地の整備補給群車両器材隊に所属する空曹長53歳(非番中)がワゴン車から荷物を下ろしている際に爆発が発生、火傷と負傷により死亡した。

この爆発事故ではその場に同自衛官のほかに資材置き場所有者のほかトラック運転手(27歳)が居合わせたが特に負傷は無かった。しかし問題の爆発した荷物以外にビニール袋に入った米軍のものと思われる「訓練用40mm擲弾」などがワゴン車助手席から発見されるなどしたため、翌9月1日に県警が火薬類取締法違反容疑で被疑者死亡のまま同自衛官宅の捜索を行ったところ、米軍の訓練弾・ロケット弾の尾翼・模造とみられるライフル銃・薬莢ベルト・導火線点火具といった軍用品の類を押収した。

9月3日には同自衛官宅から信管の付いた対戦車ロケット弾2発やM16軍用ライフルなどが押収されるようになって、事件が沖縄県内のローカルネットから全国ネットを騒がせ始める。同自衛官は自宅アパートの一室に大量の武器弾薬を隠し持っていたため、一時はアパート住民を退避させてロケット弾の回収作業が行われる事態となった。同日読売オンラインの記事によると「武器庫のよう」だったという。

9月4日には同自衛官が市内の別所に倉庫として借りていたもう一つのアパートが捜索されたが、ここからも対戦車ロケット弾ランチャーや米軍の旧装備であるM1カービン実弾多数が発見され、同事件で発見された実弾総数は660発を超えた。

9月6日には米空軍爆発物処理隊の協力で、66ミリ対戦車りゅう弾2発・他2発の計4発が処理されている。この処理にあたっては、沖縄県警が周囲100mの住民約550人を避難させたという、まさに「街中の爆弾」を印象付ける事態となっている。

同事件ではこの他、防弾チョッキや手投げ発煙筒などが後日押収されており、県警では10月15日に被疑者死亡のまま火薬類取締法違反容疑で書類送検を行った。なお同事件で押収された違法な武器弾薬は以下のとおり。

計2332点

なお同事件では同自衛官と私的な取引のあった軍用品店経営者宅ら24箇所が家宅捜索され、2名が銃刀法違反で現行犯逮捕された。県警側では大規模な武器流出ルートを調べるため、これ以外の軍用品店経営者ら20名ほどが事情聴取を受けたが、同自衛官との取引は否定している。

背景・動機[編集]

爆死した自衛官が出入りしていたとみられるフリーマーケット

この事件では、マニア筋に不発弾の類が高値で売れることなどが原因とみられている。爆死した自衛官と資材置き場所有者・トラック運転手は「フリーマーケットで知り合った」としており、同自衛官死亡時には現金60万円のほか米ドル紙幣を所有しており、読売オンラインは2003年9月7日付にて米軍払い下げ品などを扱う業者の声として「小遣い稼ぎに軍用品を売る米兵は少なくない。マニアにとって沖縄は天国」という内容を掲載しているなど、マニア向け密売ルートの存在も示唆されている。

なお同自衛官爆死事件をうけ那覇基地では勤務する隊員約3000名に対して聞き取り調査が行われたが、過去にも同自衛官が暴発による負傷をしていたり、上官から「危険な物を収集しません」とする誓約書を書かされたことがあると当人が話していたとする情報も寄せられているという。

こういった不正な武器弾薬の持ち出しは時折問題とされるが、本事件の2か月後(2003年10月31日)には静岡県裾野市で、宅配便荷物に入れられてインターネットオークション経由でマニア間で売買されていた砲弾に混じっていた不発弾が爆発、アルバイト宅配便従業員が全治3週間の怪我をする事件が発生した。この不発弾は、陸上自衛隊東富士演習場から近所に住むマニアが不正に持ち出したものとされるが、類似の事例は過去にも発生している(→不発弾)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]