沖縄の奄美差別
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沖縄の奄美差別(おきなわのあまみさべつ)では、アメリカ合衆国による沖縄統治下の沖縄県で行われた琉球列島米国民政府による奄美群島出身者への差別について解説する。
概要[編集]
戦後アメリカは、沖縄県と鹿児島県奄美群島を日本より分割し軍政下に置いた。このため両者の経済は癒着し、本土との流通を閉ざされ経済が疲弊した奄美群島の住民は、経済活動の中心地となった沖縄本島に職を求め移住するということが多くなった。しかし、奄美群島は沖縄県より早い1953年には日本に復帰し、それ以後、沖縄県が返還される1972年までの約20年間にわたり、移住していた6万余人に及ぶ奄美群島出身者は、「在沖奄美人」と称されて様々な社会的制約をうけることとなった。
琉球列島米国民政府とが行った政策は以下の通りである。
これらの政策は奄美群島が共産党勢力に支配されているとみなしていた琉球列島米国民政府の危機感のもと、共産党の影響を排除するために行われた。
これらは日本本土の国会でも問題となったが、沖縄県がアメリカ統治下のため、それ以上の干渉が出来なかった。沖縄返還により、以上の奄美群島出身者に対する制度的差別は撤廃された。
奄美共産党[編集]
琉球列島米国民政府や琉球政府は以前より、奄美群島は非合法の共産党勢力が支配しているとみなしていた。実際には、奄美共産党が合法的組織奄美社会民主党を立ち上げ奄美群島の本土復帰運動を主導し、住民自体はその復帰目的のために結集していた。琉球列島米国民政府や琉球政府は、奄美群島の復帰を機にその影響を絶とうとし、その中で奄美群島出身沖縄人民党員の逮捕や追放も行われた。
参考文献[編集]
- 法政大学大原社会問題研究所 『雑誌509号 沖縄・奄美非合法共産党文書』 2001年4月