池田政辰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
池田政辰の墓

池田 政辰(いけだ まさたつ、元文2年4月24日1737年5月23日) - 宝暦12年4月15日1762年5月8日))は、岡山藩の中老格。天城池田家嫡子。

天城池田家第6代池田政純の嫡男。幼名平之進。通称出羽、山城、対馬。別名政倫。正室は池田大学長処の娘。子は池田長玄室銀子、池田政真、池田金之丞。

元文2年(1762年)、天城池田家政純の子として誕生する。寛延3年(1750年)、藩主池田継政に御目見し、老中末席(池田森臻次席)となる。宝暦8年(1758年)2月、池田大学長処の娘と結婚する。宝暦9年(1759年)5月26日、龍次郎(政真)誕生(妾腹)。宝暦10年(1761年)より大病を患い、一旦回復するも、宝暦12年(1762年)4月15日没。享年26。

天城池田家の家督は、妹唯子の夫の政喬(3代藩主継政の次男)が政純の養子となって相続し、政辰の子の濤子と政真はその養子となった。政真は家督を継ぐことなく、安永7年(1778年)20歳で早世している。墓所は天城池田家墓所(岡山県倉敷市)。