池田政貞 (旗本)

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池田 政貞(いけだ まささだ、延享5年・寛延元年(1748年) - 文化14年4月23日1817年6月7日[1])は、江戸時代後期の旗本池田喜以の子。池田政勝の養子。妻は京極高常の娘。娘(池田喜生の養女となり、池田輝名の妻となる)がいる。初名は輝貞。通称は雅次郎。

延享5年・寛延元年(1748年)、池田喜以の子として生まれる。池田政勝の養子となり、明和8年(1771年12月7日、遺領を継ぐ。安永2年(1773年3月22日書院番に列する。天明4年(1784年1月11日使番となり、寛政元年(1789年1月15日より諸国巡見使として、阿波讃岐淡路土佐伊予豊前豊後などの国々を巡見し、同年9月7日目付となった。その後も火付盗賊改禁裏付などを歴任し、文化14年(1817年)、死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 『寛政譜以降旗本家百科事典』第1巻(東洋書林、1997年)p.202