江橋厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
江橋厚
えばし あつし
生年月日 1854年
出生地 日本の旗 日本 常陸国茨城郡
(現・茨城県水戸市
没年月日 1931年
前職 弁護士

選挙区 長野県第3選挙区
当選回数 1回
テンプレートを表示

江橋 厚(えばし あつし、嘉永7年2月[1]1854年) - 昭和6年(1931年[注 1])は、日本の政治家弁護士衆議院議員

来歴[編集]

常陸国茨城郡水戸下市(現茨城県水戸市)で生まれる[2]明治5年(1872年)水戸城放火事件の嫌疑を受けて投獄され、明治9年(1876年)1月に嫌疑が晴れて釈放された[2]

明治11年(1878年)頃、水戸から松本に来住し、弁護士を開業。奨匡社自由民権運動に参加し、同15年(1882年)同志と信陽立憲改進党を結成、同23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙長野県3区から初当選し民党に属すが、第1回帝国議会での予算議決が紛糾すると、板垣退助に同道して議員辞職した。同24年(1891年)には中山道鉄道期成同盟会で小里頼永とともに運動を展開し、自由党南信支部設置の際に座長に推挙される。同29年(1896年)後藤象二郎らと自由党の分派行動を図ったとして非難を受けると、先んじて脱党した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』101頁では昭和2年2月7日。

出典[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』101頁。
  2. ^ a b 『明治新立志編』262頁。

出典[編集]

  • 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
  • 『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別篇』1982年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。