江戸英雄

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江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997年11月13日)は、日本実業家三井不動産の復興に尽力し、社長、会長職を務めた。また、東京ディズニーランド筑波研究学園都市の建設にも力を注いだ。

来歴・人物[編集]

茨城県筑波郡作岡村(現・つくば市)に生まれる。下妻中学正則英語学校を経て、旧制水戸高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部に入学。外交官を目指して1日15-16時間の猛勉強を続けていたが帰郷中に寄宿先が関東大震災の被害を受け、その後始末の苦労で体調を崩し、結核で倒れて外交官への道を断念[1]。卒業と同時に三井財閥の本部機構である三井合名会社に入社。以降、三井総元方三井本社では文書課長であり、子会社三井化学の文書課長で、後の日本社会党委員長の成田知巳と面識があると自著で語っている。

1947年三井不動産に入社。1955年、代表取締役社長に就任。1974年、社長を退任し三井不動産代表取締役会長。後任の社長は坪井東三井ホーム取締役会長、三井不動産建設取締役会長。三井銀行小山五郎らと共に戦後解体された三井グループの再結集にも尽力し、70年に渡り三井に奉職。戦前戦後の日本の経済史と共に歩んだ。

戦後屈指のディベロッパー(都市開発者)で東京や千葉に日本を代表するランドマークを残した。財界の実力者だが世話好きとの評価が高い。誰であれ分け隔てなく接し、独自のコネクションを形成したとされるが中には銀座の与太者の頭[2]もいたとされる。田中角栄が出世する前に池田勇人から田中の娘の仲人を頼まれた縁で[3]、田中とも懇意だった[3]

娘が子供のための音楽教室の第1期生であり、また水戸高等学校時代の同級生柴沼直東京教育大学学長)が桐朋学園理事長だった縁から[4]桐朋女子高等学校の音楽科設置に貢献。桐朋音楽科の後見人として政財界や建築業者へのパイプ役を務めた[5]

1982年、勲一等瑞宝章受章。1997年11月13日死去。叙従三位。

家族[編集]

妻はピアニストの江戸弘子、長女の江戸京子小澤征爾の元妻。江戸はこの時代の小澤に金銭的な援助を行っていたと言われる[6]。次女の江戸純子(すみこ)と三女の江戸涼子は共にヴィオラ奏者。

論文[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 江戸英雄『すしやの証文』pp.61-63(中公文庫、1990年
  2. ^ 梶山季之『銀座遊侠伝』(徳間文庫)
  3. ^ a b 『1000億円を動かした男 田中角栄・全人像』 文藝春秋増刊、2016年8月号、462頁。ISBN 4910077020862。
  4. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』p.242
  5. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』p.244
  6. ^ 週刊新潮1979年4月26日号。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]