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江戸三十三観音札所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江戸三十三観音札所(えどさんじゅうさんかんのんふだしょ)とは、東京都区部にある33か所の札所寺院と1か所の番外寺院からなる観音霊場である。現在ではもっぱら1976年昭和51年)に江戸札所会えどふだしょかいが改訂して発表した「昭和新撰江戸三十三観音札所」のことを指す[1]。前身は江戸時代から存在するが札所寺院は廃仏毀釈などで半数以上が入れ替わっている。

なお、20番札所「光明山 和合院 天徳寺」が大規模工事中のため、現在のところ同寺院への参拝および御朱印の入手はできません。寺院の工期は2027年3月31日完了予定。(2025年6月時点の情報)

江戸三十三観音札所の起源

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江戸時代、西国三十三所坂東三十三観音などの観音霊場巡礼が流行した際、既存の観音巡礼を模した新たな札所[2]が各地で設けられた[3]。こうした巡礼路を「写し霊場」と呼ぶ[4][5]江戸では特に西国三十三所に見立てて、三十三の寺院を選ぶ西国写し霊場が流行した。江戸時代の江戸市中周辺には記録に残っているだけで20種もの西国写し霊場が存在していたとされる[6]。これらの霊場は、江戸時代後期天保年間の成立と推定される柳亭種彦の著作『足薪翁記』[7]に「昔、京順礼・江戸順礼といふことありときけり。是〔これ〕は富家の婦女、又〔また〕茶屋者、風呂屋物などとなへし〔称えし〕売女の類、衣装に伊達を尽くし笈摺胸札[注釈 1]をかけて、実の順禮〔順礼〕の如くいでたち、洛陽三十三所[注釈 2]の観音へまうつる〔詣ずる〕を京順禮〔京順礼〕と云〔いう〕なり。江戸順禮〔江戸順礼〕も又是におなじ」と見えるように、「幕府の厳しい規制下で自由に衣装本能を謳歌できない都市女性が近くの巡礼に仮託して、風俗の解放を求めたもの」とも言われ(近藤隆二郎の説)[3]京都で流行した後白河法皇選定と伝わる洛陽三十三所観音霊場巡礼をもととし、信仰よりもレジャー、ファッションの一環としておこなわれていたものであった。これら数々の江戸札所には神仏習合のものもあり、たとえば「江戸西国三十三所」では、「ここから眺める不忍池の景色が、石山寺から眺める琵琶湖の景色に似ている」という理由で上野公園五條天神社(穴稲荷)も札所の一つに数えられていた[11]

現行の江戸札所もこうした江戸時代の観音巡礼の一つに起源を持つとされており、元禄年間設定の観音巡礼には「武蔵三十三箇所」「江都古来三十三箇所」の2つがあり、現在のものがどちらを起源とするのかはわかっていない。田上善夫は現在の「昭和新撰江戸三十三観音札所」の前身を寛文8年(1668年)選定の「江都三十三所観音」としている[12]

現在の江戸札所には3番の大観音寺、5番の大安楽寺など明治時代の創建、さらに昭和26年(1951年)開創の世田谷山観音寺といった近現代に作られた寺院も含まれており、田上によれば寛文年間の「江都三十三所観音」に示された33か所中の19か所が廃絶し、昭和新撰時に新たに加えられている[12]。なお、平成4年(1992年)には30番札所が入れ替わっている[13][注釈 3]。下記の一覧は、この昭和新撰のものを記載している。

昭和新撰 江戸三十三観音札所一覧

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山号・院号・寺号読み通称札所本尊宗派所在地画像
1金龍山 浅草寺きんりゅうざん
せんそうじ
浅草観音聖観世音菩薩聖観音宗台東区浅草
2江北山 宝聚院 清水寺こうほくざん
ほうじゅいん
せいすいじ
 千手観世音菩薩天台宗台東区松が谷
3大観音寺おおかんのんじ 聖観世音菩薩聖観音宗中央区日本橋人形町
4諸宗山 無縁寺 回向院しょしゅうざん
むえんじ
えこういん
両国回向院馬頭観世音菩薩浄土宗墨田区両国
5新高野山 大安楽寺しんこうやさん
だいあんらくじ
 十一面観世音菩薩高野山真言宗中央区日本橋小伝馬町
6東叡山 寛永寺 清水観音堂とうえいざん
かんえいじ
きよみずかんのんどう
 千手観世音菩薩天台宗台東区上野公園
7柳井堂 心城院りゅうせいどう
しんじょういん
湯島聖天十一面観世音菩薩天台宗文京区湯島
8東梅山 花陽院 清林寺とうばいざん
かよういん
せいりんじ
 聖観世音菩薩浄土宗文京区向丘
9東光山 見性院 定泉寺とうこうざん
けんしょういん
じょうせんじ
 十一面観世音菩薩浄土宗文京区本駒込
10湯嶹山 常光院 浄心寺ゆしまざん
じょうこういん
じょうしんじ
 十一面観世音菩薩浄土宗文京区向丘
11南縁山 正徳院 圓乗寺なんえんざん
しょうとくいん
えんじょうじ
 聖観世音菩薩天台宗文京区白山
12無量山 寿経寺 伝通院むりょうざん
じゅきょうじ
でんづういん
 無量聖観世音菩薩浄土宗文京区小石川
13神齢山 悉地院 護国寺じんれいざん
しっちいん
ごこくじ
 如意輪観世音菩薩真言宗豊山派文京区大塚
14神霊山 慈眼寺 金乗院しんれいざん
じげんじ
こんじょういん
目白不動尊聖観世音菩薩真言宗豊山派豊島区高田
15光松山 威盛院 放生寺こうしょうざん
いじょういん
ほうしょうじ
 聖観世音菩薩高野山真言宗新宿区西早稲田
16医光山 長寿院 安養寺いこうざん
ちょうじゅいん
あんようじ
 十一面観世音菩薩天台宗新宿区神楽坂
17如意輪山 宝福寺にょいりんざん
ほうふくじ
中野観音如意輪観世音菩薩真言宗豊山派中野区南台
18金鶏山 海繁寺 真成院きんけいざん
かいはんじ
しんじょういん
 潮干十一面観世音菩薩高野山真言宗新宿区若葉
19医王山 悉地院 東円寺いおうざん
しっちいん
とうえんじ
 聖観世音菩薩真言宗豊山派杉並区和田
20光明山 和合院 天徳寺こうみょうざん
わごういん
てんとくじ
 聖観世音菩薩浄土宗港区虎ノ門
21三縁山 広度院 増上寺さんえんざん
こうどいん
ぞうじょうじ
 西向聖観世音菩薩浄土宗港区芝公園
22補陀山 長谷寺ほださん
ちょうこくじ
麻布大観音十一面観世音菩薩曹洞宗港区西麻布
23金龍山 大円寺きんりゅうざん
だいえんじ
 聖観世音菩薩曹洞宗文京区向丘
24長青山 宝樹寺 梅窓院ちょうせいざん
ほうじゅじ
ばいそういん
 泰平観世音菩薩浄土宗港区南青山
25三田山 水月院 魚籃寺みたさん
すいげついん
ぎょらんじ
 魚籃観世音菩薩浄土宗港区三田
26周光山 長寿院 済海寺しゅうこうざん
ちょうじゅいん
さいかいじ
 亀塚正観世音菩薩浄土宗港区三田
27来迎山 道往寺らいごうざん
どうおうじ
 聖観世音菩薩
千手観世音菩薩
浄土宗港区高輪
28勝林山 金地院しょうりんざん
こんちいん
 聖観世音菩薩臨済宗南禅寺派港区芝公園
29高野山 金剛峯寺 東京別院こうやさん
こんごうぶじ
とうきょうべついん
高輪結び大師聖観世音菩薩高野山真言宗港区高輪
30豊盛山 延命院 一心寺ぶじょうざん
えんめいいん
いっしんじ
成田不動尊聖観世音菩薩真言宗智山派品川区北品川
31海照山 普門院 品川寺かいしょうざん
ふもんいん
ほんせんじ
品川観音水月観世音菩薩
聖観世音菩薩
真言宗醍醐派品川区南品川
32世田谷山 観音寺せたがやざん
かんのんじ
世田谷観音聖観世音菩薩単立系世田谷区下馬
33泰叡山 瀧泉寺たいえいざん
りゅうせんじ
目黒不動尊聖観世音菩薩天台宗目黒区下目黒
番外龍吟山 瑞林院 海雲寺りゅうぎんさん
ずいりんいん
かいうんじ
品川千躰荒神十一面観世音菩薩曹洞宗品川区南品川
全ての座標を示した地図 - OSM

脚注

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注釈

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  1. 笈摺は「おいずり」あるいは「おいずる」と読み、巡礼者が身に着けるなしの白い木綿の衣をいう[8][9]。なお、江戸期には西国巡礼の装束は白とは限らず、『守貞漫稿(岩波文庫『近世風俗志』)』には「西国順礼: 西国三十三所観音に順詣する者を云ふ。その扮〔装〕、男女ともに平服の表に木綿の袖なし、半身の〔ひとえ〕を着す。号けて〔なづけて〕おひづると云ふ。〔巡礼者のうち〕父母ある者〔は〕、左右〔を〕茜〔色に〕染〔める〕。片親ある者〔は〕、中茜染。父母ともに亡き者は、全く白なり。〔西国〕三十三所〔を〕一拝〔する〕ごとに、その寺の印を押せり」との記述も見えるという[10]。記事「白衣 (巡礼用品)」も参照。
  2. 洛陽は平安京京都の雅称。記事「洛中」も参照。洛陽三十三所はおそらく洛陽三十三所観音霊場を指す。
  3. 1976年4月に発行され、「昭和新撰 江戸三十三観音札所」を定めた冊子『昭和新撰 江戸三十三観音札所案内』では第30番札所は補陀落山海晏寺であった[14]

出典

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  1. 江戸札所会 1976.
  2. 札所コトバンクより2024年6月2日閲覧
  3. 1 2 近藤隆二郎 1995, p. 161.
  4. 小田匡保「小豆島における写し霊場の成立」『人文地理』第36巻第4号、人文地理学会、1984年8月、59頁、CRID 1390282680117934976doi:10.4200/jjhg1948.36.347ISSN 1883-4086。「写し霊場とは四国88カ所や西国33カ所をまねて, 別の場所に新たに霊場を作ったもので, 一般には新四国・新西国, あるいはミニ四国・ミニ西国などと呼ばれている。88カ所の場合, 四国霊場を除いて他は全てその写し霊場と言うことができるが, 33カ所においては, 33観音信仰との兼ね合いもあり, 厳密には西国霊場の写しと言えない面がある。」
  5. 近藤隆二郎 1995, p. 161, “「写し霊場」とは, 西国三十三ケ所(以下本西国)や四国八十八ケ所(以下本四国)といったモデル霊場を模倣して地方各地に設けられた巡礼霊場である。”.
  6. 近藤隆二郎 1995, p. 161, 「表-1 江戸のまちにおける写し霊場(33ヶ所)の一覧」.
  7. 小野恭靖「柳亭種彦の歌謡研究 : 考証随筆及び戯作の中に見える歌謡記事に注目して」『大阪教育大学紀要 第I部門 : 人文科学』第45巻第2号、大阪教育大学、1997年2月、3頁、CRID 1390012235944796928doi:10.32287/td00003154ISSN 0389-3448
  8. 内田九州男 2001, p. 16.
  9. 笈摺」『精選版 日本国語大辞典』コトバンクより2024年6月2日閲覧
  10. 内田九州男 2001, p. 18.
  11. 近藤隆二郎 1995, p. 163, “札所 十一面観世音 穴稲荷境内。近江石山寺をうつす。[...] この社地より見おろす池乃面を湖水〔琵琶湖〕と見なし、石山寺と拝すへし。(後略)”.
  12. 1 2 田上善夫「地方霊場の開創とその巡拝路について」『富山大学教育学部紀要』第58号、富山大学教育学部、2004年2月、162頁、CRID 1390853649822028160doi:10.15099/00000571ISSN 1344-641X
  13. 淡交社編集局 編『御朱印巡礼 : 愛蔵版』淡交社、2012年。
  14. 江戸札所会 1976, pp. 66–67, “昭和新撰江戸札所 第三十番 補陀落山海晏寺”.

参考文献

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関連項目

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