江夏弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
江夏 弘
生誕 1922年9月12日
日本の旗 日本 宮崎県都城町(現:都城市
死没 (2019-08-04) 2019年8月4日(96歳没)
日本の旗 日本 京都府京都市左京区
居住 日本の旗 日本
 デンマーク
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学
研究機関 京都大学
コロンビア大学
ニールス・ボーア研究所
立命館大学
出身校 京都帝国大学
博士課程
指導教員
 湯川秀樹
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

江夏 弘(えなつ ひろし、1922年大正11年)9月12日 - 2019年令和元年)8月4日)は、日本理論物理学者立命館大学名誉教授学位理学博士。 素粒子論専攻。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

1922年(大正11年)9月12日宮崎県都城町で生まれる[1]。 都城は旧薩摩藩領内の外城の一つであり、旧薩摩藩士の家に生まれ育った成績優秀な江夏にとって、旧薩摩藩領内で最もレベルの高い鹿児島の旧制中学校に進学することは寧ろ自然なことであった。 旧制の鹿児島県立第一鹿児島中学校(現在の鶴丸高等学校)を、(修業年限五年間のところを)四年間で修了の後、旧制の第七高等学校造士館に入学する。

湯川秀樹との出会い[編集]

江夏の七高在学中に、湯川秀樹が鹿児島を訪れ中間子論の講演をする。 そのときの講演を聴き、湯川や中間子論に興味を抱き、旧制の京都帝国大学に進学する。 京大での卒業研究の指導教授はもちろん湯川であり、卒業論文のテーマは中間子論であった。 その後、旧制の大学院に進学し、湯川の下で研究を開始する[2]。 1953年、京都大学から理学博士の学位を授与される[3][4]。 1953年ごろ、コロンビア大学フルブライト・プログラムで留学した[5][6]

ニールス・ボーアとの出会い[編集]

1956年ごろ、デンマークのニールス・ボーア研究所に国費留学生として派遣される[7]。 70歳を過ぎたニールス・ボーア自身が学生の面倒を直接見ることはあまりなかったが、週一回ボーアが研究所に来るたびに、江夏はニールス・ボーアに直接質問が許されるという厚遇であった[8][9]

京都大学助教授[編集]

湯川がノーベル賞を受賞した後、湯川が卒業研究の学部生や大学院生を直接指導することはなく、その代わりに文部省から特別に湯川の研究室では助教授を二人置くことが認められていた。 江夏は、その最後の上席の助教授であった。 湯川研究室での助教授時代の教え子に坂東昌子などがいる。

立命館大学教授[編集]

湯川の京大教授退官と同時に、江夏は立命館大学教授に転出するが、湯川との個人的関係は良好であり、引き続き湯川の下で指導を受ける。 1988年(昭和63年)3月に立命館大学を定年退職し、名誉教授となる。 2019年(令和元年)8月4日、京都市内の病院にて96歳で没した[10]

学風と見識[編集]

謙虚な人柄で、なおかつ厳密な学風であった。 他人の研究を評価する鑑定眼は群を抜いており、その真贋を原石の段階で見抜く眼力があった。 研究評価能力・査読能力においても、風貌においても、マックス・プランクを連想させる人であった。

解析力学に対する造詣がとりわけ深く、 当時の世界標準であったゴールドスタインの「古典力学」や日本で最も普及していた原島鮮の「力学」よりも、 ゾンマフェルトランダウの「力学」の方を評価しており、 中でも山内恭彦の「一般力学」を最も高く評価していた。


脚註[編集]


研究業績(英文)[編集]

場の量子論における相対論的な不変形式 など。


素粒子論研究・大学紀要(和文)[編集]