禅林寺 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永観堂から転送)
移動先: 案内検索
禅林寺
Eikando Somon.jpg
総門
所在地 京都府京都市左京区永観堂町48
位置 北緯35度0分52.29秒 東経135度47分43.05秒 / 北緯35.0145250度 東経135.7952917度 / 35.0145250; 135.7952917座標: 北緯35度0分52.29秒 東経135度47分43.05秒 / 北緯35.0145250度 東経135.7952917度 / 35.0145250; 135.7952917
山号 聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)
宗派

浄土宗西山禅林寺派

寺格 = 総本山
本尊 阿弥陀如来(重要文化財)
創建年 仁寿3年(853年
開基 真紹
別称 永観堂
札所等 洛陽六阿弥陀2番
法然上人二十五霊跡番外
文化財 山越阿弥陀図、金銅蓮華文磬(国宝)
木造阿弥陀如来立像、絹本著色薬師如来像ほか(重要文化財)
テンプレートを表示
多宝塔

禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。

歴史[編集]

空海(弘法大師)の高弟である真紹僧都が、都における真言の道場の建立を志し、毘盧遮那仏と四方四仏を本尊とする寺院を建立したのが起源である。真紹は仁寿3年(853年)、歌人・文人であった故・藤原関雄の山荘を買い取り、ここを寺院とすることにした。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年(863年)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった[1]

当初真言の道場として出発した禅林寺は、中興の祖とされる7世住持の永観(ようかん)律師(1033年 - 1111年)の時に念仏の寺へ変化を遂げる。永観は文章博士源国経の子として生まれた。11歳で禅林寺の深観(花山天皇皇子)に弟子入りし、東大寺で南都六宗のうちの三論宗を学ぶ。三論宗には奈良時代の智光以来の浄土教の思想があるが、浄土の教えに感動した永観はやがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。師深観の跡を受けて禅林寺に戻るのは延久4年(1072年)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった[2][3]。禅林寺を永観堂と呼ぶのは、この永観律師が住したことに由来する。なお、「永観堂」は「えいかんどう」と読むが、永観律師の「永観」は「ようかん」と読む[4]

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。この像については次のような伝承がある。永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという[5]

禅林寺12世の静遍僧都(1166年 - 1224年)は、もと真言宗の僧で、当初は法然を批判していたが、後に法然に帰依して念仏門に入った。法然は禅林寺に住したことはないが、静遍は禅林寺11世を法然に譲り、自らは12世を称した[6][7]。法然の高弟の証空(西山上人)も、静遍の後を嗣いで当寺に住持したと伝えられている[8]。証空の門弟の浄音の時代に、禅林寺は浄土宗西山派(小坂流)の有力寺院となり、浄音が興した西谷(せいこく)流の拠点の一つとして光明寺とともに栄えた。

明治9年(1876年)には禅林寺は浄土宗西山派の東本山となる。だが、大正8年(1919年)に浄土宗西山派はそれぞれの考えの違いから浄土宗西山光明寺派(西山浄土宗)、浄土宗西山禅林寺派浄土宗西山深草派の三つに分裂した[9]

伽藍[編集]

境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれている。

  • 総門 - 天保11年(1840年)の建築。「高麗門」と呼ばれる形式である[10]
  • 中門 - 正徳3年(1713年)の建築。「薬医門」と呼ばれる形式である[11]
  • 唐門 - 文政13年(1830年)の建築[12]
  • 釈迦堂(方丈) - 入母屋造、桟瓦葺き。平面は禅宗寺院の方丈と同形式の六間取りである。寺伝では永正年間(1504 - 1521)、後柏原天皇によって建てられたというが、実際の建築は寛永4年(1627年)[13]
  • 御影堂 - 1912年大正元年)に完成した総ケヤキ造の仏堂。宗祖法然を祀る堂で、寺内最大の建物[14]
  • 阿弥陀堂(本堂) - 入母屋造、本瓦葺き。慶長2年(1597年)に大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂を慶長12年(1607年)に移築。本尊の「みかえり阿弥陀」像(重文)を安置する[15][16]
  • 鐘楼 - 宝永4年(1707年)の建立[17]
  • 多宝塔 - 釈迦堂裏手の位置に建つ。1928年昭和3年)の建立[18]
  • 臥龍廊 - 寺伝では永正年間(1504 - 1521)の建立とされるが、現在の建物の部材は昭和時代のもの[19]

本尊[編集]

禅林寺本尊の阿弥陀如来立像は「みかえり阿弥陀」の通称で知られる、頭部を左(向かって右)に向けた特異な姿の像である。像高77.6センチと、三尺像形式の中では小さい方である。かつては鎌倉時代の作とされたこともあったが、作風、構造等の特色から、平安時代末期、12世紀後半の作と見るのが妥当である。左方を向くという特殊な姿勢によって、像体の正面から見るとほとんど真横を向いてしまうため、頭部右側をやや大きく、左側を小さくする事で頭部の印象が損なわれないよう工夫を払っている。この種の「みかえり阿弥陀」の作例は、日本では本像が最も古いが、中国には北宋時代に遡る例があり(四川省安岳円覚洞16号窟)、鎌倉時代以降には山形県善光寺像など若干の作例が知られている。また本像は予め知らないと気づかないほど僅かだが、左足膝を軽く曲げ足先も少し前へ踏み出した歩行の所作をしており、初期の阿弥陀行像としても重要である。これらの「見返り」と「歩行」の動作は、来迎時に浄土へ戻る際、往生者を見守るために振り返るのだと考えられる[20]。1999年、重要文化財に指定。

文化財[編集]

山越阿弥陀図(国宝)
金銅蓮華文磬(国宝)

国宝[編集]

  • 絹本著色山越阿弥陀図 - 鎌倉時代の仏画東京国立博物館に寄託。
  • 金銅蓮華文磬(こんどう れんげもん けい) - 東京国立博物館に寄託。

重要文化財[編集]

絵画
  • 絹本著色釈迦如来像・十大弟子像 3幅[21]
  • 絹本著色薬師如来像
  • 絹本著色来迎阿弥陀如来像
  • 絹本金彩阿弥陀二十五菩薩来迎図
  • 絹本著色釈迦十六善神像
  • 絹本著色十界図 2幅
  • 絹本著色十六羅漢像 16幅
  • 絹本著色当麻曼荼羅図(附:旧軸木 正安四年五月図絵の銘あり)
  • 絹本著色仏涅槃図
  • 紙本淡彩釈迦三尊像 狩野元信筆 
  • 紙本著色融通念仏縁起 伝土佐光信筆 2巻 
  • 紙本墨画波濤図 12幅 長谷川等伯
  • 二十五菩薩来迎図絵扉(善導大師厨子扉)12枚
彫刻
  • 木造阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)
書跡典籍
  • 當麻曼荼羅縁起 弘長二年証恵書写縁起
  • 融通念仏勧進帳 文安四年三月日(金銀泥下絵料紙)[22]

典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

京都府指定文化財[編集]

  • 阿弥陀堂[23]
  • 方丈
  • 勅使門
  • 鐘楼
  • 御廟
  • 中門

所在地・アクセス[編集]

舞台となった作品[編集]

※発表順

映画

脚注[編集]

  1. ^ (高野、2007)pp.92 - 94
  2. ^ (高野、2007)pp.97 - 98
  3. ^ (安部、2007)pp.7, 8, 13
  4. ^ 禅林寺公式サイトの英文ページに’’Eikando’’、’’Yokan’’とある。
  5. ^ (高野、2007)p.101
  6. ^ 全日本仏教会の禅林寺のページ(2017年4月1日閲覧)
  7. ^ (高野、2007)p.102
  8. ^ (高野、2007)p.103
  9. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.138
  10. ^ (石川、2007)p.130
  11. ^ (石川、2007)p.130
  12. ^ (石川、2007)p.130
  13. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、pp.19, 20
  14. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.24
  15. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.
  16. ^ 2004年京都府文化財指定、大坂四天王寺建立の建物を移築
  17. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.27
  18. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.17
  19. ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.26
  20. ^ 伊東史朗 「禅林寺阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀)考─続・三尺阿弥陀像への視点─」『仏教芸術』244号、毎日新聞社、1999年。同 『平安時代彫刻史の研究』 名古屋大学出版会、2000年4月pp.241-251。
  21. ^ 「釈迦如来像」として、十大弟子像2幅とともに伝えられたものだが、図像的特色から本来は阿弥陀如来像であるとみられる(『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.55)。
  22. ^ 平成13年6月22日文部科学省告示第108号
  23. ^ 京都府指定・登録等文化財(2017年4月1日閲覧)、以下の5棟についても同じ。

参考文献[編集]

  • 井上靖、塚本善隆監修、杉本秀太郎、稲垣眞哲著『古寺巡礼京都23 禅林寺』、淡交社、1978
  • 竹村俊則『昭和京都名所図会 洛東下』駸々堂、1981
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』68号(慈照寺ほか)、朝日新聞社、1998
  • 小木曽善龍・安部龍太郎『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、淡交社、2007
    • 安部龍太郎「終わり思うぞ嬉しかりける」
    • 高野澄「禅林寺の歴史」
    • 石川登志雄「禅林寺の文化財」*『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 京都府』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]