永田農法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永田農法(ながたのうほう)は、農法の一形態。必要最小限の肥料で作物を育てることが特色であり[1]、「断食農法」[2]、「スパルタ農法」[2]、「緑健農法」[3]、「ルーツ農法」など様々な呼び名がある。

「永田農法」という名称は、発案者である永田照喜治に由来する。

歴史[編集]

永田は神戸大学経済学部卒業後、故郷の天草に戻り、家業の農業に従事した。ミカン栽培を通じて、平地の肥えた土地でつくったミカンよりも、痩せた岩山のような土地で育ったものの方が甘くておいしいことに気づいた[3]。そこで自身で実験をはじめ、大学や企業とも提携して鹿児島県で大規模な実験を繰り返し、この農法を開発した[3]

永田は「砂栽培」(砂に液肥を与える栽培法)に触発されて野菜の原産地に近い環境を再現しようと試み、雑誌に掲載された原産地の野菜の写真を見て自らの考えの正しさを確信した[要出典]

その後、漫画『美味しんぼ』での紹介によって知名度を高めた[2]が、永田農法を開発したルーツファームや、永田農法での生産を試みたエフアール・フーズはいずれも倒産した(後述)[2][4]。現在では、日本国内のほかに台湾中国フランスなどで導入されている[要出典]

方法[編集]

永田農法の基本的な考え方は、水や肥料を与え過ぎず、その野菜や果物の原生地に近い環境で育てることによって、その作物本来のおいしさを引き出すというものである[5]

ジャガイモトマトホウレンソウなどの多くの野菜はもともと高原原産であるので高温多湿である日本の気候には本来向かない。そのため、基本的にはビニールハウス内でマルチシートを張って雨風を避け、石交じりの土で作物を乾燥気味に栽培する。肥料および水は、必要最低限の液肥を、葉がしおれた頃合を見て与えるのみである。作物を常に飢餓状態に追い込むことによって、植物が本来持っている力を最大限に引き出せると永田は考えた。その結果、できた作物は通常販売されている野菜よりもはるかに多くの栄養を持つこと、そして野菜特有のアクが少なくなることなどが実証されている。また、土中の有機物が少ないので病害虫の被害も少ない[要出典]

ここで用いる液肥は化学肥料である点が、有機農法とは一線を画している点である(永田は、堆肥の乱用には批判的である。もっとも、永田農法で用いる液肥と同程度の成分になるように有機肥料のみを用いれば、さらに同農法は改良されうるであろうという意見もある[誰?][要出典]

トマトや玉ネギ等の野菜栽培で有名な永田農法であるが、応用例として、すでに米作への導入が行われている。新潟県中頸城郡吉川町(現上越市吉川区)では、80年代から食米のコシヒカリ、酒米の「五百万石」「山田錦」の永田農法での栽培をスタートさせ、コシヒカリでは魚沼と並ぶ食味を実現させ、酒米では糖度が高く、雑味の原因となるタンパク質の量が低く、心白の大きさや硬度が醸造に最適な品質なものを生産・供給している。酒米は新潟県内の複数の有名蔵元に出荷されている他、地元の蔵元「よしかわ杜氏の郷」は「地元産永田農法酒米100%の日本酒」を生産している[要出典]

問題点[編集]

ユニクロを展開するファーストリテイリングは、2002年に永田の生産指導のもとで農業に参入したが、黒字化の見通しが立たず、販売開始からわずか1年半で撤退を表明している[4]。原因は野菜の販売価格が高かったことと、売れ残りが多かったことだと指摘されている[4]

永田農法を開発したルーツファームも、2013年に特別清算開始が決定した[2]。業績が伸長性に欠けた上、設備投資資金が負担となり、資金繰りが困難になったことが理由である[2]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 山田玲司『非属の才能』2007年 光文社新書 84頁。
  2. ^ a b c d e f 漫画『美味しんぼ』で紹介、"永田農法"のルーツファームが特別清算開始決定”. マイナビニュース (2013年12月25日). 2021年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c 第六十五回 反響大きかった「緑健農法」のルポ”. 図書出版 弦書房. 2021年12月23日閲覧。
  4. ^ a b c 農業が日本を救う 財部誠一 PHP研究所 P86
  5. ^ 銀座の八百屋・りょくけん東京 元祖・永田農法で育てた野菜が評判を呼ぶ”. マイナビ農業-就農、農業ニュースなどが集まる農業情報総合サイト. 2021年12月23日閲覧。

外部リンク[編集]