永田昌綽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永田 昌綽(ながた まさのぶ、1890年6月15日[1] - 1975年7月25日)は、日本の実業家北海道拓殖銀行頭取を生え抜きとして初めて務めた。

経歴[編集]

島根県出身[1]1917年東京帝国大学を卒業し、北海道拓殖銀行に入行[1]。取締役を経て、1941年から1947年までに頭取を務めた[1]

北海道曹達会長、北海道商工会議所顧問、北海道クラブ相談役などを歴任した[1]

1960年藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章した[1]

1975年7月25日腎不全のために死去[2]。85歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1971, な197頁.
  2. ^ 1975年 8月2日 朝日新聞 朝刊 p19

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第26版 下』人事興信所、1971年。