永泰公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

永泰公主(えいたいこうしゅ、685年 - 701年9月4日)は、中国の中宗李顕の七女。は仙蕙、は穠輝。母は韋皇后

経歴[編集]

700年、永泰郡主に封ぜられ、食邑千戸を受けた。武承嗣武則天の甥)の子の魏王武延基に降嫁した。701年、兄の邵王李重潤や夫の武延基とともに武則天の寵臣であった張易之張昌宗兄弟を排除する謀議を行ったとして、武則天により自殺を命じられた(『大唐故永泰公主誌銘』によると、兄と夫の刑死でショックのため流産し重体となり、翌日薨去した)。

705年、中宗が即位すると、永泰公主に追封された。706年乾陵に陪葬された。

伝記資料[編集]

  • 新唐書』巻八十三 列伝第八「諸帝公主伝」
  • 大唐故永泰公主誌銘