永泰公主
表示
| 李仙蕙 | |
|---|---|
| 続柄 | 中宗第七皇女 |
|
| |
| 全名 | 李仙蕙 |
| 称号 | 永泰郡主(追贈:永泰公主) |
| 身位 | 郡主 |
| 出生 |
垂拱元年(685年) |
| 死去 |
大足元年9月4日 (701年10月9日) |
| 埋葬 | 永泰公主墓 |
| 配偶者 | 武延基 |
| 父親 | 中宗 |
| 母親 | 韋皇后 |
生涯
[編集]久視元年(700年)9月、永泰郡主に封ぜられ、食邑1000戸を受けた[2]。武承嗣(武則天の甥)の子の魏王武延基に降嫁した。大足元年(701年)、兄の邵王李重潤や夫の武延基とともに武則天の寵臣であった張易之・張昌宗兄弟を排除する謀議を行ったとして、武則天の命により杖殺された[3][4]。一説に縊殺された[5][6]。神龍元年(705年)、中宗が即位すると、永泰公主に追封された[2]。
永泰公主墓
[編集]神龍2年(706年)、永泰公主は夫の武延基とともに乾陵に陪葬された。墓は陝西省咸陽市乾県に位置する。縦363m、横220mの陵園の中に設けられた墓は、全長87.5m、幅3.9m、地上からの深さ16.7mで、墓道・甬道・前室・後室の4部分で構成される。墓から出土した文物は陶俑・三彩俑・木俑・金器・銅器・鉄器・玉器・石刻など1300点以上に達した[7]。
墓道・墓室の東西南北四壁ならびに墓室天井部には、いずれも壁画が描かれ、青龍・白虎・闕楼・戟架・雲鶴・天体・儀衛・侍男・侍女などの図を見ることができる[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]伝記資料
[編集]- 『新唐書』巻八十三 列伝第八「諸帝公主伝」
- 大唐故永泰公主誌銘
参考文献
[編集]- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。
- 『唐代墓志彙編』上海古籍出版社、2007年。ISBN 978-7-5325-1078-8。
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。