永井一正

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永井 一正(ながい かずまさ、1929年4月20日 - )は日本グラフィックデザイナー大阪府大阪市[1]出身。2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員代表。息子はHAKUHODO DESIGN博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史

略歴[編集]

両親は姫路市出身[1]で、1945年3月の大阪大空襲で実家を戦火で焼失後、戦後の姫路で10代の青年期を過ごす[13]

現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。

近年例年、亀倉雄策賞の最終選考委員会の選考委員も務めている[14][15]

不正[編集]

オリンピックエンブレム選出に先立つ一次審査において不正に関与した。2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は2015年12月18日に、「一次審査において事前に参加を要請した8人中2人に対して、不適切な投票があった」とする外部有識者による調査結果を公表し、この際、永井氏の不適切な働きかけにより本来であれば落選する者がでるはずだったのが一次審査応募の8人全員が1次審査を通過する結果となった。[16]

作品・業績[編集]

主な受賞・受章[編集]

  • 第一回モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ(1992年
  • 紫綬褒章(1989年
  • 芸術選奨文部大臣賞(1988年
  • 第11回ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ(1985年
  • 第2回亀倉雄策賞[19]1966年
  • 勝見勝賞(1966年)
  • 日宣美会員賞(1966年)
  • 朝日広告賞(1966年)
  • 毎日産業デザイン賞(1966年)
  • ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ(金賞・銀賞・名誉賞1966年)
  • 勲四等旭日小綬章(1999年)
  • ADCグランプリ
  • 毎日芸術賞

著作[編集]

主な作品収蔵先[編集]

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 姫路は原点の地 永井一正さんのポスター展開幕”. 神戸新聞 (2017年11月12日). 2018年3月14日閲覧。
  2. ^ FGひろば140号 クリエイターズ・アイ
  3. ^ 亀倉雄策が東京五輪で示した、デザインの力。 2013年11月号 宣伝会議
  4. ^ オリンピック・パラリンピックとビジュアルデザイン 東京デザイン2020フォーラム
  5. ^ 雑誌「デザインの現場」1998年No.100
  6. ^ 日の丸の大きさ・解答 - 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草 2007年12月31日
  7. ^ 月刊五輪:吹浦忠正の1964年東京五輪物語 「日の丸」基準に苦労 - 毎日新聞、2015年4月21日 東京朝刊(アーカイブ
  8. ^ 東京五輪エンブレムのパクリ疑惑 原因はコンペ作品のコンセプトか - ライブドアニュース(2015年8月2日 LITERA)
  9. ^ 第8回 永井一正(1) スポーツとアート - JOC
  10. ^ 2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会エンブレムデザインを募集 マイナビニュース 2014年9月19日
  11. ^ 「夢だと思った」2020年東京五輪のエンブレムに佐野研二郎氏 104件から選定 Art Annual online、2015年7月27日
  12. ^ 五輪エンブレム盗作問題 審査員と佐野研二郎さんとのつながりがネットで話題に ガジェット通信 2015年8月17日
  13. ^ 永井一正ポスター展:生を求める表現の宇宙”. 毎日新聞 (2017年12月13日). 2018年3月14日閲覧。
  14. ^ 第17回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
  15. ^ 第18回亀倉雄策賞:選考経緯・展覧会情報(更新)
  16. ^ 白紙撤回の五輪エンブレム選考過程で「不適切な投票」 朝日新聞デジタル 2015年12月18日
  17. ^ a b c ユニフォーム物語 阪神タイガース2010年交流ユニフォーム『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 70頁。
  18. ^ 2020年東京五輪のエンブレムは亀倉デザインの正統進化 - デザイン情報サイト[JDN]、2015年7月29日
  19. ^ Japan Graphic Designers Association Inc.

外部リンク[編集]