水江正臣
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県豊後高田市水崎 |
生年月日 | 1954年4月19日(70歳) |
身長 体重 |
179 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1972年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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水江 正臣(みずえ まさおみ、1954年4月19日 - )は元プロ野球選手(投手)。右投右打。大分県出身。元UP-BEATの水江慎一郎とは従兄弟。
来歴・人物
[編集]大分・津久見高校では1972年、エースとして県大会優勝すると中九州大会準決勝では中島弘美(八代一高 - 太平洋クラブ)と投げ合って完封するなどの奮投で夏の甲子園に出場。同じ九州勢で好投手とされた堂園喜義(鹿児島商に投げ勝つなどの活躍で、決勝まで進むと岡村隆則がいた柳井高を降し、同校を1967年春の選抜以来の甲子園制覇に導く。切れのよいシュートとコントロールが武器だった。高校では2学年上に浜浦徹、1学年上に橘健治の両投手、同期に一塁手の中川信秀がいる。
同年末のドラフト6位でヤクルトアトムズに入団。しかし鈴木孝政(千葉・成東→中日)や仲根正広(日大櫻丘→近鉄)らプロ入り同期生たちとは完全に実力(実績)の差を開けられてしまい、一軍未出場のまま1976年末に戦力外通告を受け、わずか4年で引退した。
高校時代の成績
[編集]- 第54回全国高等学校野球選手権大会(優勝投手)
回戦 対戦相手 結果 投球回 被安打 奪三振 与四死 自責点 1回戦 鹿児島商(鹿児島) ○3 - 2 9 4 5 3 1 2回戦 苫小牧工(南北海道) ○13 - 1 9 10 12 2 1 準々決勝 明星(大阪) ○1 - 0 9 4 1 2 0 準決勝 天理(奈良) ○5 - 3 9 8 3 0 3 決勝 柳井(山口) ○3 - 1 9 10 2 0 0
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 59(1973年 - 1976年)