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水江正臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水江 正臣
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県豊後高田市水崎
生年月日 (1954-04-19) 1954年4月19日(70歳)
身長
体重
179 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

水江 正臣(みずえ まさおみ、1954年4月19日 - )は元プロ野球選手投手)。右投右打。大分県出身。元UP-BEAT水江慎一郎とは従兄弟。

来歴・人物

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大分・津久見高校では1972年、エースとして県大会優勝すると中九州大会準決勝では中島弘美八代一高 - 太平洋クラブ)と投げ合って完封するなどの奮投で夏の甲子園に出場。同じ九州勢で好投手とされた堂園喜義鹿児島商に投げ勝つなどの活躍で、決勝まで進むと岡村隆則がいた柳井高を降し、同校を1967年春の選抜以来の甲子園制覇に導く。切れのよいシュートとコントロールが武器だった。高校では2学年上に浜浦徹、1学年上に橘健治の両投手、同期に一塁手中川信秀がいる。

同年末のドラフト6位でヤクルトアトムズに入団。しかし鈴木孝政千葉・成東中日)や仲根正広日大櫻丘近鉄)らプロ入り同期生たちとは完全に実力(実績)の差を開けられてしまい、一軍未出場のまま1976年末に戦力外通告を受け、わずか4年で引退した。

高校時代の成績

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回戦 対戦相手 結果 投球回 被安打 奪三振 与四死 自責点
1回戦 鹿児島商鹿児島 ○3 - 2 9 4 5 3 1
2回戦 苫小牧工(南北海道 ○13 - 1 9 10 12 2 1
準々決勝 明星大阪 ○1 - 0 9 4 1 2 0
準決勝 天理奈良 ○5 - 3 9 8 3 0 3
決勝 柳井山口 ○3 - 1 9 10 2 0 0

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 59(1973年 - 1976年)

関連項目

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