水の中のASIAへ

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水の中のASIAへ
松任谷由実スタジオ・アルバム
リリース
録音 1981年3月9日3月19日
ジャンル J-POP
時間
レーベル EXPRESS
プロデュース 松任谷正隆
チャート最高順位
ゴールドディスク
松任谷由実 年表
SURF&SNOW
1980年
水の中のASIAへ
1981年
昨晩お会いしましょう
1981年
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水の中のASIAへ』(みずのなかのアジアへ)は、松任谷由実(ユーミン)の12インチEPで、11枚目のオリジナルアルバムとカウントされている作品。1981年5月21日東芝EMIからリリースされた(EP:ETP-40143、CT:ZT15-789)。

1981年5月5日9月11日、『水の中のASIAへ』コンサートツアーが行われた。なお、このライブは後にビデオ化され、『1981 Yuming Visual Volume1』というタイトルにて発売された。1985年6月1日に初CD化(CA25-1137)。1999年2月24日に当時の12インチEPのブックレットを復刻し、バーニー・グランドマンによるデジタルリマスタリングで音質を大幅に向上したリマスタリングCD(TOCT-10644)とEP(TOJT-10644)をリリース。

解説[編集]

収録曲[編集]

Side A[編集]

  1. スラバヤ通りの妹へ
    インドネシアの首都ジャカルタで出会った少女に語りかける内容のポップス。スラバヤ通りはジャカルタにある実在のストリート名であり、観光バスのルートにもなっている有名な骨董街。曲の後半に出てくる「スラバヤ」はこのストリート名の由来となったインドネシア第2の都市スラバヤ(ジャカルタから東へ800km弱)である。曲は太平洋戦争日本軍による占領の影響や、オランダ統治時代の建物が高層ビルに変わっていくなど、インドネシアの歴史を感じさせる歌詞に仕上がっている。実際のスラバヤ通りは平屋の建物ばかりなので、ここを代表とするジャカルタの街を舞台としていると考えられる。「写真で見た波止場」はかつて栄えたスンダ・クラパ旧港。曲中幾度も繰り返されるフレーズ"RASA SAYANG GEH"はインドネシア語で、"rasa"は「感じる」、"sayang"は「いとおしい、可愛い、可哀想な、残念だ、もったいない」、"geh"は「ね(口語で使う終助詞)」の意味。"sayang"の持つ多様な意味を各部でうまく使っていると言える。現地にはほぼ同名のフォークソング(童謡)"Rasa Sayange"が存在しており、曲中の「そのつぎを教えてよ」はこの童謡の続きと推察できる。「スラバヤ通りの妹へ」は1999年大江千里が、2015年には元ちとせがカヴァーしている。
  2. HONG KONG NIGHT SIGHT
    機内アナウンスのSEなどで始まる。ユーミン・レパートリーで唯一本人が作曲していないナンバーとして知られる。1977年の松任谷正隆のアルバム『夜の旅人』に収録されていた曲のカヴァー。ちなみにそのアルバムのジャケット画はユーミンが担当している。

Side B[編集]

  1. 大連慕情
    母に宛てた黄ばんだ手紙を見付け、遠い異国の地に生きた亡き父に想いを馳せる。タイトルからもわかるように肉親を恋い慕う純粋な気持ちがテーマ。中国大連が舞台。亡き父の若い頃の母への手紙を見つけた娘の心情を描く、1977年萩尾みどりへの提供曲。後に、1995年Calinがカヴァー。ユーミンの曲の中で父親のことを歌った数少ない曲であるが、実在する彼女の父親は東京・八王子市の呉服店主のため、作中の父親像は完全な創作。
  2. わき役でいいから
    結婚を控え、異国の地で働くかつての恋人へ “ときには思い出して” と最後の願いを綴る。
  • 作詞・作曲 : 松任谷由実(A-2のみ作曲 : 松任谷正隆) 編曲 : 松任谷正隆

参加ミュージシャン[編集]

その他[編集]

  • このアルバムは音質向上への実験のため発売当初12インチEP(45回転)でリリースされたが、レコード盤が12インチであるため33回転で再生してしまう者が多く、「別人(男)が唄っている」と云うCD全盛の現在となっては笑えるクレームもあった。(2010年11月14日放送 松任谷由実のSweet Discoveryより)
  • ジャケットの着物の着付けは松任谷本人が日本から自身の着物を持ち込んで着付けをしたそうだが、帯締めの位置を間違えてしまったとラジオで語っている。

外部リンク[編集]