毛馬内秀範

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毛馬内 秀範
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正18年/大永元年(1521年
死没 天正13年(1585年
別名 信次、靭負佐
墓所 南部家菩提寺聖寿寺
氏族 三戸南部氏毛馬内氏
父母 南部政康:不詳
兄弟 南部安信石川高信南長義石亀信房秀範
政次直次
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毛馬内 秀範(けまない ひでのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。別名に信次。靭負佐。

略歴[編集]

参考諸家系図』・『系胤譜考』では南部氏22代南部政康の五男、『寛政重修諸家譜』では23代南部安信の五男。兄に南部安信(前述のように異説有り)、石川高信南長義石亀信房がいる。子に政次直次

『参考諸家系図』では、南部氏から鹿角郡毛馬内2,000石の領地を与えられ、毛馬内氏を名乗る。南部氏に仕えていたが、安東愛季とも交流を持っていた。