段鱗

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段 驎(だん りん、生没年不詳)は、鮮卑段部大人。『晋書石勒載記上では段忽跋隣、『魏書』段就六眷伝では段羽鱗とそれぞれ記されるが、『資治通鑑』には記載がない。

生涯[編集]

段務勿塵段渉復辰従兄弟にあたる。詳細は不明だが、段部において相当な実権を持っていたと思われる。

建武2年(318年)1月、大人であった段疾陸眷が病死すると、その子が幼かったため、代わって叔父の段渉復辰が位を継いだ。

薊城を統治していた段匹磾(段疾陸眷の弟)は兄の死を聞き、段部の本拠である令支に向かった。この時、段匹磾は密かに段末波(段匹磾の従弟)と段驎を殺して権力を掌握しようと目論んでいたが、その側近が段末波にこのことを密告したため、段末波は段渉復辰へ討伐を勧めた。これに同意した段渉復辰は派兵して、北平まで進んできた段匹磾を阻ませた。この時、段末波は隙を突いて段渉復辰を襲撃し、段渉復辰とその子弟を尽く誅殺すると、代わって段驎を大人に擁立した[1]。さらに段驎らは段匹磾を撃ち破って全滅に近い大損害を与えた。敗北した段匹磾はかろうじて薊城へ逃げ帰った。

これ以降、段驎と段末波は段匹磾と相争い、段部の部衆は離散してしまうこととなった。段驎がいつ没したのかは不明である。

参考資料[編集]

  • 魏書』(列伝第九十一)
  • 晋書』(列伝第三十三、載記第四)
  • 資治通鑑』(巻八十七)

脚注[編集]

  1. ^ 『魏書』には即位した記述はないが、『資治通鑑』では、段末波自ら単于を称して自立したと記されている。
先代
段渉復辰
段部大人
318年 – ?年
次代
段末波