F&Fビル
| F&Fビル | |
|---|---|
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| 情報 | |
| 用途 | ショッピングビル |
| 設計者 | RIA建築綜合研究所[1] |
| 施工 | 清水建設[1] |
| 事業主体 | 吉祥寺エフエフ商業協同組合 |
| 管理運営 |
一般財団法人武蔵野市開発公社(建物管理) 吉祥寺エフエフ商業協同組合(運営) |
| 構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート造及鉄骨造 |
| 敷地面積 | 6,012 m² [1] |
| 建築面積 | 4,771 m² [1] |
| 延床面積 | 46,725 m² [1] |
| 状態 | 完成 |
| 階数 |
(A棟)地上7階、地下2階、塔屋2階 (B棟)地上8階、地下4階、塔屋3階[1] |
| 着工 | 1968年(昭和43年) |
| 竣工 |
1971年(昭和46年)11月(B棟) 1972年(昭和47年)3月(A棟) |
| 開館開所 | 1972年(昭和47年)3月 |
| 改築 | 2006年(平成18年) |
| 所在地 |
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16(A棟) 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-5(B棟) |
| 座標 | 北緯35度42分17.6秒 東経139度34分45.9秒 / 北緯35.704889度 東経139.579417度座標: 北緯35度42分17.6秒 東経139度34分45.9秒 / 北緯35.704889度 東経139.579417度 |
F&Fビル(エフエフビル、F&F Buildings)は、東京都武蔵野市吉祥寺本町にある商業・文化ビル。武蔵野市が主導する吉祥寺駅周辺再開発事業により建設され、一般財団法人武蔵野市開発公社が運営する。
A棟、B棟の2館に分かれており、核テナントのショッピングセンター「コピス吉祥寺」を中心に、武蔵野市立吉祥寺美術館などで構成される。
概要
[編集]昭和40年代、当時の武蔵野市長・後藤喜八郎の主導による吉祥寺駅周辺再開発事業の目玉として、旧藤村音楽体操学校(1964年ごろ解体)の跡地に大手百貨店の伊勢丹を誘致することが決定した[2]。市は財団法人武蔵野市開発公社を設立し、公社が音体跡地にA・B2棟のビルを建設、B棟に伊勢丹、A棟には開発による立ち退き事業者が入居することになった。
建物の設計はRIA建築綜合研究所(現・アール・アイ・エー)[3]、施工は清水建設が手掛けることになり[1]、1968年(昭和43年)に着工、1971年(昭和46年)11月に竣工、11月10日にはB棟に伊勢丹吉祥寺店が開業した[2]。翌1972年(昭和47年)3月にはA棟専門店フロア「F&F・専門店街」(現・コピスエフエフ)もオープンし、全面開業を迎えた。同時期には、吉祥寺を代表する商店街のひとつである「吉祥寺サンロード商店街」も開業し、武蔵野市民や吉祥寺を訪れる買い物客からは「FFビル」の名で親しまれてきた。
2000年代以降は建物の老朽化が著しかったことから、2004年(平成16年)より2年かけて耐震改修・外装リニューアル工事を実施。2008年(平成20年)にはA棟入口にドライミスト発生装置を設置した。
核テナントの伊勢丹吉祥寺店は、百貨店業界の不振に加え、吉祥寺の商業施設集積による競争激化で売上低迷が続き、三越伊勢丹ホールディングスの構造改革として2009年5月に撤退を決定。翌2010年(平成22年)3月14日をもって閉店し、38年4か月の歴史に幕を下ろした[2][4]。伊勢丹の閉店から半年後の10月15日、コンペで第一優先交渉権者に選ばれた三菱商事都市開発の運営する商業施設「コピス吉祥寺」が開業した。「コピス吉祥寺」開業に合わせて内外装ともリニューアルされ、元町通り側にあるゲートは伊勢丹末期からの三角形からCoppiceロゴ入りの四角形のものに変更された。またA棟前にあったからくり時計は、コピス吉祥寺開業後、B棟3階の連絡通路脇に移設されている。
伊勢丹の名残からか、コピス吉祥寺の開業後も「旧伊勢丹」「伊勢丹跡・伊勢丹跡地」「伊勢丹だった所」などと呼ばれることがある。
株式会社エフエフショッピングセンター
[編集]1979年(昭和54年)10月には、ショッピングセンター運営会社として「株式会社エフエフショッピングセンター」が設立された。伊勢丹から遅れて開業した専門店街(現・コピスエフエフ)が期待通りの売り上げには至らず、新テナント誘致など商業活性化のため、武蔵野市と武蔵野市開発公社、伊勢丹などの出資で発足している[5]。しかし、赤字がかさんだ伊勢丹が公社に賃料値下げを要求したり[5]、エフエフ側が耐震補強と外装リニューアルが必要になったりなど、問題が山積みとなり、2004年(平成16年)3月にエフエフショッピングセンターは解散した。
所在地
[編集]交通アクセス
[編集]- ムーバス開業から2010年4月までのバス停名称は「FF・伊勢丹前」、5月から半年間は「FFビル前」だった。
- 関東バス西10系統・吉80系統「コピス吉祥寺前」下車(吉祥寺駅行きのみ停車)
- 2010年12月14日までのバス停名称は「FF前」だったが、12月15日から変更された。
沿革
[編集]

- 1968年(昭和43年)
- 8月 - 財団法人武蔵野市開発公社設立。
- 月日不明 - 旧藤村音楽体操学校跡地に着工。
- 1971年(昭和46年)
- 11月 - B棟完成。
- 11月10日 - 伊勢丹吉祥寺店オープン。
- 1972年(昭和47年) 3月 - A棟完成。エフエフショッピングセンターオープン。
- 1979年(昭和54年)10月 - 株式会社エフエフショッピングセンター設立(2004年(平成16年)3月会社解散)。
- 1998年(平成10年)10月 - エフエフビル耐震補強工事推進委員会を設置。
- 2002年(平成14年) 2月 - 武蔵野市立吉祥寺美術館オープン。
- 2003年(平成15年) 3月 - エフエフビル「耐震改修・外装リニューアル工事基本構想」を策定。
- 2004年(平成16年)
- 4月 - 耐震改修・外装リニューアル工事実施設計完了。
- 5月 - 耐震改修・外装リニューアル工事に着工。
- 7月 - A棟1階と地下1階のリモデル工事に着工。
- 2006年(平成18年)11月 - グランドリニューアルオープン。屋上庭園「吉祥空園sora」(現在は撤去)オープン。
- 2008年(平成20年)
- 2月 - 特別高圧受変電設備更新工事に着工。
- 6月、ドライミスト発生装置を設置。
- 2009年(平成21年)
- 5月 - 三越伊勢丹ホールディングスが、伊勢丹吉祥寺店を2010年3月で閉店すると発表[2]。
- 9月11日 - フリーマガジン「FF」発行開始。
- 10月 - 伊勢丹閉店後の後継テナント契約先として、武蔵野市と開発公社が三菱商事都市開発と調整開始。
- 11月 - 三菱商事都市開発と正式契約。
- 2010年(平成22年)
コピス吉祥寺
[編集]| コピス吉祥寺 coppice KICHIJOJI | |
|---|---|
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コピス吉祥寺(A館、元町通り側) (2015年10月25日撮影) | |
| 店舗概要 | |
| 所在地 |
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8-16 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目11-5 |
| 座標 | 北緯35度42分17.6秒 東経139度34分45.9秒 / 北緯35.704889度 東経139.579417度 |
| 開業日 | 2010年(平成22年)10月15日 |
| 正式名称 | 吉祥寺エフエフビル |
| 施設所有者 |
財団法人武蔵野市開発公社(建物管理) 三菱商事都市開発株式会社(運営) |
| 施設管理者 | 三菱商事都市開発株式会社[6] |
| 敷地面積 | 6,262.89 m²[6] |
| 延床面積 | 46,021.64 m²[6] |
| 商業施設面積 | 約18,000 m²[6] |
| 中核店舗 | Miuraya、ジュンク堂書店、ICI石井スポーツ、キャラパーク吉祥寺 他 |
| 店舗数 | 109[6] |
| 営業時間 | 10:00 - 21:00 |
| 駐車台数 | 100台 |
| 前身 | 伊勢丹吉祥寺店 |
| 外部リンク | coppice KICHIJOJI(コピス吉祥寺) |
コピス吉祥寺(コピスきちじょうじ、coppice KICHIJOJI)は、三菱商事の子会社である三菱商事都市開発が管理運営するショッピングセンター。2010年(平成22年)10月15日に開業した。
施設概要
[編集]B館全館(旧・伊勢丹)および A館地上1 - 6階・地下1階を使用し、2館100店舗前後で構成される。吉祥寺パーキングプラザと特約駐車場契約を結んでいる(2010年3月14日までは伊勢丹吉祥寺店も特約駐車場契約を結んでいた)。
施設のコンセプトは「Kichijoji Style Community(吉祥寺スタイル・コミュニティ)」で、主に20代後半 - 30代前半のニューファミリーとその親世代を中心ターゲットとする[6]。名称の「コピス」は、英語で「雑木林・小さな森」という意味の"Coppice"であり、またco(共に生きる)+(s)pice(活気づける・刺激する)の2つの意味合いも込められている。
歴史
[編集]2009年(平成21年)5月、翌年3月で伊勢丹の閉店が決定した。三菱商事都市開発(以下、三菱)では、伊勢丹の閉店が伝わると、コンペ参画に向けて開発・リーシングチームを編成。吉祥寺の街・消費行動などあらゆる面から調査を実施、2009年8月初旬に都市型商業施設に関する提案書を提出した[6]。同年11月11日、武蔵野市と武蔵野開発公社は50社以上の問い合わせのなかから、三菱を第一優先交渉権者と決定したと発表し[6]、新たに都市型ショッピングセンターが誕生することになった。これは武蔵野市長邑上守正の主導による吉祥寺駅周辺地区の再開発プロジェクト『進化するまち「NEXT―吉祥寺」』の目玉の一つとなった[7]。当初、有力テナントとして、H&Mが挙がっていると『日本経済新聞』などが報道したが[8]、設備や賃料などの条件が折り合わず、出店交渉が破談となり実現しなかった。
2010年(平成22年)5月12日には伊勢丹による建物の明け渡しが行われ、開業に向けての改装工事とテナントの調整に入り、また改装工事費用として開発公社が13億円弱を投資し、各テナント補強のために三菱が8億円強を出資した[9]。
2010年(平成22年)7月26日に、施設名称を「コピス吉祥寺」(Copicce Kichijoji)と決定[9][10][11]、10月15日に開業を迎えた[12]。
店舗・店内施設
[編集]主な店舗
[編集]など
コピスエフエフ
[編集]コピスエフエフ(coppice ff)は、A館1・2階と地下1階、および3階の一部で営業していた専門店街。現在はこの名称は廃止となっている。
1972年(昭和47年)3月、吉祥寺駅北口広場や街路の整備で立ち退いた商店が入り[13]、「F&F(エフ・エフ)専門店街」として開業。1980年代初期から2000年代前期までは、「株式会社エフエフショッピングセンター」が運営にあたった。しかし、会社解散に伴い、吉祥寺エフエフ商業協同組合の運営に移行。コピス開業後、「コピスエフエフ」に名称を改めている。
改称の際には、新テナントも導入されたが、その一方で撤退する店舗も相次いだ。2009年9月11日からコピス開業まで、フリーマガジン「FF」を発行・配布[14]。A館3階の屋上庭園は当初『吉祥庭園Sora』として営業していたが、後に「GREENING広場」としてリニューアル。現在も憩いの場として親しまれている。
店舗ギャラリー
[編集]- 開業当時のコピス吉祥寺A館(2010年10月撮影)
- コピス吉祥寺A館・西棟
- コピス吉祥寺A館・東棟
- コピス吉祥寺A館・東棟
付帯施設
[編集]
イベント「大吉祥抽選会2016」開催中の様子
武蔵野市立吉祥寺美術館
[編集]Kichijoji Art Museum | |
|---|---|
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![]() | |
| 施設情報 | |
| 正式名称 | 武蔵野市立吉祥寺美術館 |
| 専門分野 | 美術 |
| 事業主体 | 武蔵野文化事業団 |
| 管理運営 | 武蔵野市開発公社(FFビル) |
| 開館 | 2002年(平成14年)2月2日 |
| 所在地 |
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16 |
| 位置 | 北緯35度42分17.53秒 東経139度34分45.00秒 / 北緯35.7048694度 東経139.5791667度 |
| 外部リンク | 吉祥寺美術館 |
| プロジェクト:GLAM | |
武蔵野市立吉祥寺美術館(むさしのしりつきちじょうじびじゅつかん)は、本ビルA館7階にある美術館。日常生活と文化・芸術を楽しむ場として、武蔵野文化事業団により2002年(平成14年)2月に開設された。おもに野田九浦の日本画をはじめ、油彩、版画、写真など2000点もの作品が収蔵されている。
各種企画展を開催する企画展示室のほか、武蔵野市民の憩いの場である「市民ギャラリー」や、浜口陽三や萩原英雄といった有名作家の記念展示室もある。
美術館へは、A館6階「キャラパーク吉祥寺」から直通の入口専用階段で行けるほか、元町通り側に「吉祥寺美術館」用の正面入り口から直通エレベーターも運行している。
なお、ロゴマークは永沢まこと(イラストレーター)が手掛けており、英文でKichijoji Art Museumと表記されている。
美術館の概要
[編集]館内設備
[編集]- 企画展示室
- 常設展示室
- 音楽室
- ミュージアムショップ
フロア構成
[編集]この節は色を過度に使用しています。 |
- ※注 コピス吉祥寺に分類されるフロアを(コ)と表記する。
| 階 | B館 | A館 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| R | ルーフバーベキュー(コ) (デジキューBBQテラス) | ||||
| 8 | ビューティーサービス(コ) | ||||
| 7 | ブックス(コ) (ジュンク堂書店) |
吉祥寺美術館 | |||
| 6 | (連絡通路) | キャラパーク吉祥寺(コ) | |||
| 5 | ベビー&キッズ(コ) | (レストスペース) | ベビー&キッズ(コ) | ||
| 4 | アウトドアスポーツ(コ) (石井スポーツ) |
(連絡通路) | バラエティグッズ(コ) | ||
| 3 | インテリア ライフスタイルグッズ (コ) |
(連絡通路) | インテリア ライフスタイルグッズ (コ) |
GREENING広場 | |
| 2 | ファッション ライフスタイルグッズ(コ) |
(連絡通路) | ファッション ライフスタイルグッズ(コ) | ||
| 1 | ファッション・ファッショングッズ(コ) | ||||
| ふれあいデッキこもれび | |||||
| B1 | スーパーマーケット・フードテラス(コ) (三浦屋) | ||||
| B2 | 駐車場 | ||||
| B3 | |||||
伊勢丹吉祥寺店
[編集]| 伊勢丹吉祥寺店 | |
|---|---|
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伊勢丹吉祥寺店(2006年11月) | |
| 店舗概要 | |
| 所在地 |
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16(A館) 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-5(B館) |
| 開業日 | 1971年(昭和46年)11月10日 |
| 閉業日 | 2010年(平成22年)3月14日[2] |
| 建物名称 | F&Fビル |
| 設計者 | RIA建築綜合研究所[1] |
| 施工者 | 清水建設[1] |
| 敷地面積 | 6,012 m²[1] |
| 延床面積 | 46,725 m²[1] |
| 商業施設面積 | 22,493 m²[1] |
| 最寄駅 | 吉祥寺駅 |
| 最寄バス停 |
ムーバス「FF・伊勢丹前」 関東バス「FF前」 |
新館(A館)側
(2010年3月14日)

夜のA館正面入口
(2010年3月14日)

入口前にムーバス「FF・伊勢丹前」停留所がある
(2008年3月)

一般路線バス(関東バス)の停留所名は「FF前」だった
(2008年3月)
伊勢丹吉祥寺店(いせたんきちじょうじてん)は、このビルに入居していたデパート。三越伊勢丹ホールディングスグループの中心企業である、株式会社伊勢丹(当時)が[16]、38年4か月にわたり核店舗として営業していたが、経営不振のため、2010年(平成22年)3月14日に閉店した。
伊勢丹吉祥寺店の歴史
[編集]吉祥寺初の百貨店
[編集]吉祥寺駅周辺の開発計画は、武蔵野市市制施行以来の懸案であったが、市は1966年(昭和41年)に至り、具体的な「都市計画街路事業」および「区画街路を含む音体跡地開発計画事業」を決定した[17]。この中の一つとして、「吉祥寺を魅力あるショッピングセンターに」という構想のもとに、駅北口の東京女子体育短期大学(通称音体)の移転後の敷地に計画の要となるデパートを誘致することが明かされた[18]。
この時点で、伊勢丹を含む多くの百貨店が進出を希望したが、1968年(昭和43年)に武蔵野商工会議所は住民アンケートを実施[19]。その結果、51.3%[20]の消費者から厚い支持を受け、建設されるビルの核店舗として、伊勢丹を誘致することが決定した。8月、市は財団法人武蔵野市開発公社を設立した。公社は音体跡地にA・B2棟のビルを建設、B棟を伊勢丹、A棟を開発による立ち退き事業者等に貸与することを決定した[19]。そしてこれらのビルを「F&Fビル」と呼称することも決定された[19]。
1971年(昭和46年)11月10日に、吉祥寺地区における最初の百貨店として吉祥寺店は誕生した[2]。B棟は地下4階地上8階の建物で、延床面積は29,072㎡、このうち、吉祥寺店は15,697㎡を売場として使用することになった[19]。開店当時の広告は、モデルの女性が海の輝きを背景に微笑むという、いかにも1970年代らしさを感じさせるものだった[21]。開店前には2,000人を超える行列ができ、1日で約65,000人が来店した[22]。1972年(昭和47年)3月には、工事の遅れていたA棟の開店によって名店食堂街等もオープンし、F&Fビルはショッピングセンターとしての形態を整えるに至った[23]。
吉祥寺店は、当初入居したF&FビルB棟のほか、1972年(昭和47年)11月には隣接のA棟2階に、さらに1973年(昭和48年)3月には同3階部分への出店要請を受けた[24]。同年10月には伊勢丹への増床申請も許可され、吉祥寺店における営業面積は、B棟14,496㎡、A棟(1~3階)2,198㎡の計16,694㎡に拡大された[24]。
吉祥寺の中核として
[編集]吉祥寺には、1974年(昭和49年)5月から6月にかけ、近鉄百貨店東京店(売場面積19,912㎡)、吉祥寺名店会館跡地には東急百貨店吉祥寺店(売場面積29,543㎡)が相次いで開店した[24]。近鉄、東急の開店を前に、吉祥寺店は1974年2月に大規模なリニューアルを実施。衣料品を得意とする特徴をさらに明確に打ち出し、婦人服、紳士服、子ども服、ベビー用品に重点を置き、拡充を図り、特にA館では2、3階を「男の館」として一新した[24]。その後、吉祥寺にはチェーンストア5店が出店し、吉祥寺店は苦戦を余儀なくされ、加えて、1980年(昭和55年)9月に駅ビル吉祥寺ロンロンの新装オープンや吉祥寺パルコの出店、1981年(昭和56年)4月には、西武スポーツ吉祥寺等がオープンし、企業間競争が激化した[25]。これに対応して吉祥寺店も数次にわたる改修を繰り返しつつ、MDの見直しを図った[25]。
1980年には武蔵野市開発公社からF&FビルA棟に面する元町通りをより魅力あるショッピングエリアにしたいとの要請が出された[25]。これを受け、伊勢丹はF&Fビル活性化に協力して吉祥寺店の拡張工事を行い、12月4日にはA棟部分が新装オープンした[25]。地階から1~4階を改装したのをはじめ、正面入口ファサードやコンコース等が新設された[25]。1981年10月には、再び武蔵野市開発公社からF&Fビル第2次活性化のため売場拡張の要請があり、伊勢丹はこれに応え、1982年(昭和57年)12月、A棟地下1階、1、2、3、6階の延べ3,290㎡の増床計画を提出した[26]。
増床によって、売場面積は22,493㎡となったが、競争は依然激しく、吉祥寺店の業績は伸び悩んだ。1994年(平成6年)には鈴木勝男が店長として着任。「3年で立て直してこい。黒字にならなければ(店)を畳んでもいい」。本社で辞令を受けた時、そう命じられた鈴木は、自ら欧州に買い付けに走り、かつて米国で学んだ最新の展示方法も採用。店長に着任して2年目、年間売上は過去最高の221億円を記録し、赤字を脱した[22][27]。鈴木はその後、新宿本店長や常務などを歴任した[22]。
地域競争の激化と閉店
[編集]2000年代に入ると、バブル崩壊後の平成不況による百貨店業界の不振が深刻化した。こうした状況を乗り切るため老舗百貨店の合併が相次ぎ、2003年(平成15年)には三越と伊勢丹が合併して三越伊勢丹が発足した。この前年から武蔵野市開発公社は伊勢丹の要請により、億単位で賃料の値下げに応じてきたが、収益性の確保が困難となり、三越伊勢丹ホールディングスは、2009年(平成21年)5月に吉祥寺店の閉店を発表した[13]。
2009年10月から半年近くにわたり感謝セールを開催。2010年(平成22年)3月14日の営業最終日には、閉店セールに多数の客が来店した[27]。同日19時をもって全営業を終了し、店長が来店客らに挨拶した[28][29]。店長以下、従業員一同が深々と一礼をし、38年4か月にわたる歴史に幕を下ろした[2]。閉店直後も写真を撮影したりオリジナルの紙袋をもらう客らで賑わった。
なお、近鉄東京店は2001年(平成13年)2月に閉店し、同年6月から2006年(平成18年)5月までは三越と大塚家具が入居していたが、現在はヨドバシ吉祥寺となっている[22]。また多摩地域では、吉祥寺店と同様に駅前再開発のシンボルとして百貨店が自治体から誘致されるケースが多く、1980年代から1990年代前半にかけてはそごう(八王子そごう、多摩そごう、柚木そごう)、1996年には伊勢丹府中店も再開発により誘致されたが、いずれも閉店しており、跡地はコピス吉祥寺と同様にショッピングセンターとなることが多い。
閉店時のフロア構成
[編集]本ビルB館(地上8階、地下1階)全館と、A館地上6階 - 地下1階部分を使用していた。
営業終了時点でのフロア構成は以下の通り。
| 本館 | 新館 | ||
|---|---|---|---|
| 階 | 売場 | 階 | 売場 |
| 8 | レストラン街「イートパラダイス」 | - | - |
| 7 | 催事場、メガネサロン、伊勢丹トラベル | - | - |
| 6 | 和・洋食器、家庭用品、呉服、宝飾、時計、商品券、ギフトステーション | 6 | 寝具・寝具ギフト、タオル、エプロン、スリッパ、インテリア、ハートフルステーション |
| 5 | ベビー・子供服用品 | 5 | 伊勢丹写真室ピーサイト、リフォームサロン、スクールユニフォーム |
| 4 | 紳士服・洋品・雑貨 | 4 | コムサイズム ドットアイ、ヘアーサロン「ズッソ・エフ」 |
| 3 | 婦人服 | 3 | 婦人服 |
| 2 | 婦人服(大きいサイズの婦人服)、婦人肌着・ナイトウェア | 2 | 婦人服 |
| 1 | 婦人服、ハンドバッグ、化粧品 | 1 | 婦人服飾雑貨、アクセサリー、生花 |
| B1 | 食料品 | B1 | 食料品、クリーニング『白洋舍』 |
それ以前に、一時期、新宿本店などと同様に「男の新館」「伊勢丹志にせ街」といった当時の伊勢丹を象徴する売り場も展開していた。また、本館屋上にテニスコートが敷設されていたこともあった。
近隣施設
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ショッピングセンター名鑑 1994 1994, p. 815.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 百貨店の灯、またひとつ消える… 伊勢丹吉祥寺店本日閉店~38年の歴史に幕 オリコン ライフニュース、2010年3月14日、2021年3月21日閲覧。
- ↑ 『RIAが建築で街をつくりはじめて』第3章 街づくりのひろがり(太田南一番街(太田駅南口防災建築街区、1964-70)太田南一番街共同建築;吉祥寺駅北口(吉祥寺駅北口第一防災建築街区、1966‐72)F&Fビル(武蔵野市開発公社ビル) ほか)、近藤正一 [ほか] 著、建築メディア研究所 , 建築技術 (発売), 2022年
- ↑ 老舗が続々と閉店「住みたい街・吉祥寺」の変貌 東洋経済オンライン、2020年11月26日
- 1 2 「(株)F&Fショッピングセンター」突然解散のナゾに迫る! 三宅英子(元武蔵野市議会議員)「議員日記」
- 1 2 3 4 5 6 7 8 「日本のSC コピス吉祥寺」『SC Japan today』2011年1月号
- ↑ 進化するまち「NEXT-吉祥寺」 - 武蔵野市 (PDF)
- ↑ “伊勢丹吉祥寺店が閉鎖、38年余の歴史に幕”. 日本経済新聞 (2010年3月14日). 2026年7月6日閲覧。
- 1 2 吉祥寺・伊勢丹跡に複合商業施設「コピス吉祥寺」-今年10月開業へ - 吉祥寺経済新聞、2010年7月27日
- ↑ 朝日新聞(むさしの版)、2010年7月27日
- ↑ プレスリリース(財団法人武蔵野市開発公社、三菱商事都市開発株式会社) (PDF)
- ↑ 『朝日新聞』むさしの版、2010年10月16日
- 1 2 「「回遊」魅力の街、転機「跡地に何が」、地域に波紋 伊勢丹吉祥寺店閉店へ」『朝日新聞』むさしの版 2009年5月14日 27頁
- ↑ 吉祥寺のショッピングセンター「エフエフ」がフリーマガジン発行 - 吉祥寺経済新聞、2009年10月1日
- ↑ エフエフビル 1階テラス 新名称決定! - 武蔵野市開発公社「スタッフブログ」2010年10月8日
- ↑ 現在の株式会社三越伊勢丹の百貨店ブランド。
- ↑ 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 277.
- ↑ 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 277 - 278.
- 1 2 3 4 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 278.
- ↑ 週刊きちじょうじ 1827号(2010年3月12日発行)
- ↑ 開業当時の広告 - 吉祥寺サンロード商店街開業当時の記念特集誌(「BOOKS ルーエ」特設サイト)
- 1 2 3 4 「吉祥寺⋯住みたい街 2 大型店出店競争、伊勢丹が先陣」『朝日新聞』東京版 2015年10月15日 28頁
- ↑ 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 279.
- 1 2 3 4 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 362.
- 1 2 3 4 5 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 417.
- ↑ 伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって 1990, p. 418.
- 1 2 伊勢丹吉祥寺店が閉店 38年余りの歴史に幕 - 47NEWS、2010年3月14日
- ↑ 伊勢丹吉祥寺店が閉店=最終日、買い物客でにぎわう - 時事通信、2010年3月14日(ウォール・ストリート・ジャーナル)
- ↑ 吉祥寺の伊勢丹が38年の歴史に幕-アフターケアカウンター開設 - 吉祥寺経済新聞、2010年3月15日
参考文献
[編集]- 伊勢丹広報担当社史編纂事務局 編『伊勢丹百年史 三代小菅丹治の足跡をたどって』伊勢丹、1990年3月。
- 日本ショッピングセンター協会『ショッピングセンター名鑑 1994』日本ショッピングセンター協会、1994年10月。
