武廟六十四将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

武廟六十四将(ぶびょうろくじゅうよんしょう)とは、唐朝以前の中国史を代表する六十四人の名将。782年徳宗の命により唐代の史館が選出し、武成王廟(太公望の廟)に武廟十哲と共に合祀された。後の時代には幾度か改変された。

六十四将[編集]

[編集]

[編集]

田斉[編集]

[編集]

[編集]

前漢[編集]

後漢[編集]

曹魏[編集]

蜀漢[編集]

孫呉[編集]

西晋[編集]

  • 征南大将軍/南城侯・羊祜
  • 鎮南大将軍/当陽侯・杜預
  • 撫軍大将軍/襄陽侯・王濬

東晋[編集]

前秦[編集]

前燕[編集]

劉宋[編集]

北魏[編集]

北斉[編集]

[編集]

北周[編集]

[編集]

[編集]

[編集]

参考文献[編集]

  • 《新唐書》志第五 礼楽五より

『建中三年,礼儀使顔真卿奏:“治武成廟,請如《月令》春、秋釋奠。其追封以王,宜用諸侯之数,楽奏軒懸。”詔史館考定可配享者,列古今名将凡六十四人図形焉:越相国范蠡,斉将孫臏,趙信平君廉頗,秦将王翦,漢相国平陽侯曹参、左丞相絳侯周勃、前将軍北平太守李広、大司馬冠軍侯霍去病,後漢太傅高密侯鄧禹、左将軍膠東侯賈復、執金吾雍奴侯寇恂、伏波将軍新息侯馬援、太尉槐里侯皇甫嵩,魏征東将軍晋陽侯張遼,蜀前将軍漢寿亭侯関羽,呉偏将軍南郡太守周瑜、丞相婁侯陸遜,晋征南大将軍南城侯羊祜、撫軍大将軍襄陽侯王濬,東晋車騎将軍康楽公謝玄,前燕太宰録尚書事太原王慕容恪,宋司空武陵公檀道済,梁太尉永寧郡公王僧辯,北斉尚書右僕射燕郡公慕容紹宗,周大冢宰斉王宇文憲,隋上柱国新義公韓擒虎、柱国太平公史万歳,唐右武候大将軍鄂国公尉遅敬德、右武衛大将軍邢国公蘇定方、右武衛大将軍同中書門下平章事韓国公張仁愿、兵部尚書同中書門下三品中山公王晙、夏官尚書同中書門下三品朔方大総管王孝傑;斉相管仲、安平君田単,趙馬服君趙奢、大将軍武安君李牧,漢梁王彭越、太尉条侯周亜夫、大将軍長平侯衛青、後将軍営平侯趙充国,後漢大司馬広平侯呉漢、征西大将軍夏陽侯馮異、建威大将軍好畤侯耿弇、太尉新豊侯段熲,魏太尉鄧艾,蜀車騎将軍西郷侯張飛,呉武威将軍南郡太守孱陵侯呂蒙、大司馬荊州牧陸抗,晋鎮南大将軍当陽侯杜預、太尉長沙公陶侃,前秦丞相王猛,北魏太尉北平王長孫嵩,宋征虜将軍王鎮悪,陳司空南平公呉明徹,北斉右丞相咸陽王斛律光,周太傅大宗伯燕国公于謹、右僕射鄖国公韋孝寛,隋司空尚書令越国公楊素、右武候大将軍宋国公賀若弼,唐司空河間郡王李孝恭、礼部尚書聞喜公裴行倹、兵部尚書同中書門下三品代国公郭元振、朔方節度使兼御史大夫張斉丘、太尉中書令尚父汾陽郡王郭子儀。』