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武士沢友治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武士沢友治
2020年2月16日 東京7Rパドック
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県三戸町
生年月日 (1978-02-09) 1978年2月9日(46歳)
身長 164cm
体重 50kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・中野渡清一(1997.3.1 - 2010.10.20)
美浦・フリー(2010.10.21 - 2023.11.20)
美浦・小手川準(2023.11.21 - 2024.3.10)
初免許年 1997年
免許区分 平地・障害[1]
騎手引退日 2024年3月10日
重賞勝利 5勝
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武士沢 友治(ぶしざわ ともはる、1978年2月9日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンター所属にしていた元騎手

戸籍上の表記は旧字体が含まれた武士澤だが、JRAでは旧字体での登録が認められていない為、一部の地方競馬を除いて競馬中継や新聞・雑誌では新字体武士沢に修正して表記される。

経歴

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中学時代に騎手に憧れを抱くも、卒業後は競馬学校には入らず[2]、いったん青森県立三本木農業高等学校に入学し馬術部に所属。高校進学の経緯について武士沢は近辺には牧場がなく「馬に乗ったこともなかったので、馬術競技が盛んな同校にて、馬に慣れようとした」と語っている。

その後、高校を1年で中途退学。競馬学校騎手課程を経て、1997年中野渡清一厩舎所属騎手としてデビュー。以後2010年10月の厩舎解散まで、同厩舎に所属し続けた。競馬学校では13期生で、同期には美浦には勝浦正樹村田一誠板倉真由子栗東には秋山真一郎武幸四郎松田大作らがいる。

1997年3月8日の中山3Rでグリーンジョージに騎乗し初勝利。デビュー初年度から2年目までは障害レースにも騎乗し、重賞初騎乗は同年の東京障害特別(秋)だった(障害は通算33戦未勝利)。

毎年10勝以上とコンスタントに勝利を重ね、2002年のNHKマイルカップでGI初騎乗。2003年6月28日の函館11Rをカツヨスパイラルで制しJRA通算100勝を達成。

2006年11月5日、アルゼンチン共和国杯トウショウナイトに騎乗しデビュー10年目で重賞初勝利。トウショウナイトとはキャリア38戦中34戦でコンビを組み6勝を挙げたが、2008年4月30日に調教中に右前脚を骨折し予後不良となった。のちに「あの事故は僕にとって転機でした。馬に対する考え方を180度変えてもらいました。またナイトのような馬に巡りあいたいですね」と語っている[3]

2008年8月31日、新潟記念を16番人気アルコセニョーラで制し重賞2勝目。2着に2番人気のマイネルキッツ、3着に14番人気のトウショウシロッコが入線し、三連単は100万円を超える大波乱となった。元々この日は札幌で騎乗する予定だったが、お手馬のダイワマックワンがキーンランドカップで除外対象となり、アルコセニョーラ陣営から依頼が舞い込んでの騎乗だった。「一瞬の脚を生かす競馬が合うと思ったので直線残り400まで我慢したら、思った通りの脚を使ってくれました」と語っている[4]

2008年にはベンチャーナインでクラシック三冠レースに騎乗した(皐月賞13着、ダービー9着、菊花賞6着)。

2008年10月30日にOLの女性と約7年間の交際を経て結婚した[5]

2011年10月16日の東京では10鞍に騎乗し、5Rで2番人気リーサムダイチ、8Rで8番人気スギノブレイド、10Rで3番人気ツルマルネオ、12Rで11番人気マイネルエルドラドで勝利し、1日4勝の固め打ちをした(他に3着2回)[6]

2013年6月に故郷・三戸町の町役場を訪れ、スポーツ振興のために町に100万円を寄付した[7]。2013年には自身最多の24勝を挙げた。

2016年11月13日、福島記念を7番人気マルターズアポジーで逃げ切って制し重賞3勝目。

2017年2月19日、小倉大賞典を4番人気マルターズアポジーで逃げ切って制し重賞4勝目。これがJRA通算299勝目だった。

それから約5ヶ月勝てず148連敗した後、7月15日の福島10Rを8番人気デルマサリーチャンで制しJRA通算300勝を達成[8]。同じ日に福永祐一が2000勝を達成したため、「翌日の新聞では福永さんの記事が紙面の半分くらいを占めていて、俺はその20分の1くらいで、探しちゃいましたよ」と語っている[9]

2017年8月13日、関屋記念を7番人気マルターズアポジーで逃げ切って制し重賞5勝目。ゴールの瞬間、珍しくガッツポーズを見せた[10]。2017年はデビュー以来最も少ない4勝に終わったが、そのうち2勝が重賞での勝利だった。

2018年9月23日、中山6Rでカグヤヒメに騎乗し、史上36人目のJRA通算10000回騎乗を達成した[11]

2024年3月6日、同月10日付で引退し、JRA競馬学校で教官となる予定とJRAから発表された[12]

2024年3月10日、最終騎乗となった中山12R(キーチズカンパニーで10着)終了後、中山競馬場のウィナーズサークルで引退セレモニーが行われた[13]。セレモニーの途中からは、新たに就任するJRA競馬学校教官のブレザーと帽子を身につけ、りりしい姿を披露し、マイクを渡されると「中山競馬場でデビューして中山競馬場で引退を迎えられることが、とても感慨深いです」とコメント[13]

エピソード

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  • ガンダム好きで知られ、調教ベストの胸の部分にジオン軍のエンブレムを入れている[14]。騎手仲間の金子光希と「ガンダ部」を結成していたこともあり[15]、「オールドタイプ最強は誰だと思いますか?」という質問には「それはもう、サウス・バニング」と答えている[16]
  • 単勝最低人気馬に乗ることが多く、デビュー以来最低人気馬に乗った回数が1986年以降最多の1500回を超えている。

おもな騎乗馬

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騎乗成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1997年3月1日 2回中山3日8R 5歳上500万下 カオリクイン 16頭 9 13着
初勝利 1997年3月8日 2回中山5日3R 4歳未勝利 グリーンジョージ 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1998年4月26日 2回東京2日11R NZT4歳S ベガスカラノテガミ 18頭 15 15着
重賞初勝利 2006年11月5日 5回東京2日11R アルゼンチン共和国杯 トウショウナイト 14頭 1 1着
GI初騎乗 2002年5月4日 3回東京6日11R NHKマイルカップ マヤノサリーダ 18頭 17 15着

初騎乗 1997年3月23日 3回中山2日5R 障害4歳上400万下 オンワードプリモ 10頭 10 9着
重賞初騎乗 1997年10月18日 4回東京5日9R 東京障害特別(秋) スピードドルフィン 9頭 9 8着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 8 6 11 248 .032 .056 .101
1998年 16 30 33 449 .036 .102 .176
1999年 17 17 23 426 .040 .080 .134
2000年 19 19 32 347 .055 .110 .202
2002年 19 31 29 436 .044 .115 .181
2003年 18 24 39 423 .043 .099 .191
2004年 14 10 12 309 .045 .078 .117
2005年 12 14 15 377 .032 .069 .109
2006年 17 16 18 377 .045 .088 .135
2007年 19 27 30 566 .034 .081 .134
2008年 11 15 18 500 .022 .052 .088
2009年 16 27 21 568 .028 .076 .113
2010年 9 12 15 509 .018 .041 .071
2011年 20 22 23 596 .034 .070 .109
2012年 12 19 33 653 .018 .047 .098
2013年 24 20 26 655 .037 .067 .107
2014年 9 28 32 560 .016 .066 .123
2015年 13 17 26 490 .027 .061 .114
2016年 10 10 18 442 .023 .045 .086
2017年 4 10 13 353 .011 .040 .076
2018年 8 13 14 429 .019 .049 .082
2019年 9 15 11 359 .025 .067 .097
2020年 7 4 7 344 .020 .032 .052
2021年 8 14 10 340 .024 .065 .094
2022年 2 10 19 249 .008 .048 .124
2023年 3 5 5 183 .016 .044 .071
2024年 2 1 0 48 .042 .063 .063
平地 340 450 557 11591 .029 .068 .116
障害 0 3 0 33 .000 .091 .091
地方 14 15 22 272 .051 .107 .188

脚注

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  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
  2. ^ このため年齢的には競馬学校花の12期生相当であるが、この時点で入学しなかったため武士沢は12期生とはならなかった。
  3. ^ 引退よぎった悲劇から10年…「大穴男」武士沢騎手が意外な2018年初勝利!
  4. ^ 新潟記念 陣営もうれしい誤算!? アルコセニョーラが大激走
  5. ^ 武士沢が結婚「気持ち吹っ切れた」
  6. ^ 武士沢固め打ち!自身最多の1日4勝
  7. ^ 武士沢騎手、故郷のスポーツ振興へと寄付
  8. ^ 人気薄で決めた!武士沢騎手が約5カ月ぶり勝利でJRA通算300勝達成!
  9. ^ 【300勝達成】武士沢友治騎手(1)『王手をかけてから148連敗 今だから語れる“300勝”』
  10. ^ 【関屋記念】マルターズアポジー、逃げ切りで重賞3勝目!再びマイル路線突き進む
  11. ^ 武士沢友治騎手、JRA通算10000回騎乗達成
  12. ^ 武士沢 友治騎手の引退”. 日本中央競馬会 (2024年3月6日). 2024年3月6日閲覧。
  13. ^ a b 中山で武士沢友治騎手の引退セレモニー「自分の騎手人生は終わるけど、馬のドラマとストーリーは続く」”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知' (2024-03-10JST17:33:00+0900). 2024年3月11日閲覧。
  14. ^ 穴男・武士沢友治の武士ロード!
  15. ^ ガンダ部の写真です。|金子光希オフィシャルブログ
  16. ^ 【300勝達成】武士沢友治騎手(3)『馬術部の思い出からガンダ部まで…プライベートな質問特集』

関連項目

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