正親町三条公豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
正親町三条公豊
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 正慶2年/元弘3年(1333年
死没 応永13年6月24日1406年7月9日
改名 公景(初名)→公豊→皎空(法名)
別名 号:後三条、通称:後三条内大臣、称名院入道
官位 正二位内大臣
主君 後醍醐天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 正親町三条家
父母 父:正親町三条実継 母:三条公明の娘
兄弟 公豊三条西公時、行子
養兄弟:左京大夫局
不詳
実豊三条西公保、寛勝、京極高光室、女子二人
テンプレートを表示

正親町三条 公豊(おおぎまちさんじょう きんとよ、正字体:正親町三條 公豐)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿内大臣正親町三条実継の子。官位正二位内大臣北朝)。号は後三条。後三条内大臣、称名院入道などと呼ばれた。

経歴[編集]

初名は公景(きんかげ)。元弘4年(1334年従五位下叙位建武4年/延元2年12月(1338年1月)従五位上に昇叙し、康永4年/興国6年(1345年侍従任官。

貞和3年/正平2年(1347年右近衛少将に任じられ、貞和4年/正平3年12月(1349年)に従四位上に叙される。下野権介、右中将を歴任し、文和2-3年/正平8-9年頃(1353–54年)に正四位下美濃介に叙任。文和4年/正平10年(1355年参議に任じられ公卿に列す。

文和5年/正平11年(1356年従三位備前権守に叙任。延文6年/正平16年(1361年権中納言に任じられる。康安2年/正平17年(1362年正三位貞治3年/正平19年(1364年従二位に陞叙。2年後には権大納言になり、応安3年/正平25年(1370年)正二位。その後はしばらく出仕を止めていたが、南北朝統一後の応永2年(1395年)9月に廟堂に復して内大臣に任じられる。その2か月後に出家、法名を皎空(こうくう)とした。

応永13年(1306年)6月に薨去、享年74。

官歴[編集]

  • 元弘4年(1334年)- 1月5日 従五位下[1]
  • 建武4年(1338年1月)- 12月24日 従五位上
  • 暦応4年(1341年)- 1月6日 正五位下
  • 康永4年(1345年)- 4月16日 侍従
  • 貞和元年(1346年1月)- 12月30日 従四位下
  • 貞和3年(1347年)- 3月29日 右近衛少将
  • 貞和4年(1349年1月)- 12月30日 従四位上
  • 貞和5年(1349年)- 3月15日 下野権介
  • 観応2年(1351年)- 5月29日 右近衛中将
  • 文和2年(1353年)- 11月23日 正四位下
  • 文和3年(1354年)- 3月28日 美濃介
  • 文和4年(1355年)- 8月13日 参議
  • 文和5年(1356年)- 1月7日 従三位、1月28日 備前権守
  • 延文6年(1361年)- 3月27日:権中納言
  • 康安2年(1362年)- 5月7日:正三位
  • 貞治3年(1364年)- 1月5日 従二位
  • 貞治4年(1366年2月)- 12月30日 権大納言
  • 応安3年(1370年)- 1月6日 正二位
  • 応永2年(1395年)- 9月12日 内大臣、11月28日 出家

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 以下、『公卿補任』に従う。

参考文献[編集]