正福寺 (幸手市)

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正福寺
所在地 埼玉県幸手市北1ー10ー3
位置 北緯36度4分55.3秒 東経139度43分14.9秒 / 北緯36.082028度 東経139.720806度 / 36.082028; 139.720806座標: 北緯36度4分55.3秒 東経139度43分14.9秒 / 北緯36.082028度 東経139.720806度 / 36.082028; 139.720806
山号 香水山[1]
院号 楊池院[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
創建年 不詳
中興年 永正8年(1511年[1]
中興 秀宥[1]
文化財 幸手義賑窮餓之碑(埼玉県指定有形文化財)
法人番号 2030005004578 ウィキデータを編集
正福寺の位置(埼玉県内)
正福寺
正福寺
正福寺 (埼玉県)
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正福寺(しょうふくじ)は、埼玉県幸手市にある真言宗智山派寺院

歴史[編集]

創建年代は不明であるが、1511年永正8年)に秀宥が中興していることから、その頃までには既に存在していたものと推測される。1648年慶安元年)、江戸幕府より寺領13を賜り、末寺49か寺を擁する寺院として寺運興隆していた[2]

1863年文久3年)の暴風雨で、多くの寺宝を失ったり、水に浸かったりした。当寺の本尊不動明王であるが、この時の災害で失ってしまった。その後、明治初期の神仏分離により、蔵前神社にあった不動明王像の安置場所に困っているという話を聞き、当寺の本尊として迎えた[2]

当寺の境内には、埼玉県の文化財に指定されている「幸手義賑窮餓之碑」がある。これは1783年天明3年)の浅間山大噴火が引き金となった天明の大飢饉の際に、当地の名主21人が資金を拠出して貧民を救済したことを代官頭伊奈忠尊褒賞し、彼らの善行を称えるために設けられた顕彰碑である[2]

文化財[編集]

  • 幸手義賑窮餓之碑(埼玉県指定有形文化財 昭和14年3月31日指定)[3]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 内国府間村.
  2. ^ a b c 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅰ』埼玉新聞社、1981年、107-112p
  3. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、94p

参考文献[編集]

  • 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅰ』埼玉新聞社、1981年
  • 「内国府間村 正福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ36葛飾郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763980/74