歌川芳鳥女

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歌川 芳鳥女(うたがわ よしとりじょ、天保10年(1839年[1] - 没年不明)とは、江戸時代末期の女性浮世絵師

来歴[編集]

歌川国芳の門人でその長女。名は鳥、または登鯉。一燕斎、芳鳥女、国芳女登里、登理女と号す。作画期は嘉永から文久(1848 - 1864年)にかけての頃で、作品は少なく合巻や読本の挿絵及び若干の錦絵が知られる。錦絵の作は父国芳が描いた「山海愛度図会」のなかの左上部のコマ絵がある。挿絵は安政4年(1857年)刊行の仮名垣魯文作の合巻『金毘羅利生伝記』の挿絵、翌安政5年刊行の梅暮里谷峩作の人情本『春色連理の梅』四編、五編の挿絵を描く。また、安政2年(1855年)には吉原の万灯に一ツ家の老婆の図を描いている。日本橋新場の魚商茶屋伊之助に嫁いだが、若くして没したといわれる。

作品[編集]

  • 「甲斐名所すこ六」 双六絵 国芳、歌川芳丸歌川芳藤らと合作。芳鳥女10歳時の作画で「甲斐の駒」を描く。国立国会図書館所蔵
  • 山海愛度図会 よい日をおがみたい」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館、太田記念美術館所蔵 国芳との合作で「芳登里」と落款する。
  • 「さん海愛度図会 十六 あとが聞たい、泉州飯蛸」 大判 嘉永5年 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 国芳との合作
  • 「山海愛度図会 二十八 たんと釣たい、尾張焼物」 大判 嘉永5年 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 国芳との合作
  • 「山海目出鯛図会 五十二 あたまがいたい、さつまやき物」 大判 嘉永5年 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 国芳との合作
  • 「山海めで度図会 五十九 一枝もらいたい、安房かつを」 大判 嘉永5年 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 国芳との合作
  • 「武者人形組立ノ図」 大判錦絵

脚注[編集]

  1. ^ 『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』164頁。

参考文献[編集]

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 浮世絵太田記念美術館編 『歌川国芳とその一門展』 太田記念美術館、1990年
  • 飯島虚心 『浮世絵師歌川列伝』 中公文庫 1993年
  • 国際日本文化研究センター編 『フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵日本美術品図録』 国際日本文化研究センター、1995年
  • 柏木智雄・内山淳子・片多祐子 『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』 大修館書店、2012年 ※横浜美術館企画・監修

関連項目[編集]