橘高淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
本来の表記は「橘髙淳」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
橘髙 淳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県
生年月日 (1962-12-17) 1962年12月17日(55歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1980年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

橘高 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手捕手)、プロ野球審判員(クルーチーフ)。旧名は橘高 敦

来歴[編集]

瀬田工業高では、捕手として布施寿則(豊橋技科大)とバッテリーを組み、3年次の1980年夏の甲子園にチーム初出場を果たす。3回戦でエース高山郁夫を擁する秋田商を降し、準々決勝では浜松商に大勝。しかし準決勝で早実高荒木大輔に完封を喫する[1]

同年オフに、ドラフト外阪神タイガースに入団。しかし、一軍公式戦に出場のないまま1983年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。ブルペン捕手として球団に残るが、1年で退団。

1985年からブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。後に審判部主任→クルーチーフを務め、現在は審判長補佐。同じセ・リーグの審判を務めた渡真利克則は現役時代、阪神の同期生。

現役時代の背番号65、ブルペン捕手時代の背番号は92。審判員袖番号は91988年の初採用から)。

2017年シーズン終了時点での通算出場試合数は2626試合。オールスターゲーム出場5回(1993年、2001年、2004年、2011年、2016年)、日本シリーズ出場7回(1999年、2003年、2004年、2007年、2011年、2014年、2017年)。オールスターゲームでは1993年第2戦、日本シリーズでは、2004年に第1戦、2003年に第4戦、2017年第5戦でそれぞれ球審を務めている。

2011年5月25日の広島東洋カープ埼玉西武ライオンズ戦に二塁塁審として出場し、通算2000試合出場を達成した。

また2016年7月31日には、オリックス・バファローズ対埼玉西武ライオンズ第17回戦(京セラドーム大阪)で二塁塁審を務め、史上42人目となる通算2500試合出場を達成した[2]

人物評[編集]

関西審判部として長年審判員を務めており、日本シリーズには6度出場している。球審を務める際、ストライクのジェスチャーに特徴があり、場内説明の際に関西弁になることが多々ある。

判定が関連したトラブル[編集]

1996年9月4日、広島 - 阪神戦 (広島市民球場)
6回裏、広島の野村謙二郎がショートへゴロを放ち、野村は一塁へヘッドスライディングしたが一塁塁審の橘高の判定はアウト。この判定に広島監督の三村敏之が猛抗議し、その際に橘高に暴行を働き橘高は三村に退場を下した。三村に退場宣告後今度は野村が激昂、橘高に暴行を働いたため野村にも退場を宣告した。このシーンはこの年の珍プレー番組でも取り上げられた。
1998年7月31日、阪神 - 巨人戦(阪神甲子園球場
6回裏、阪神の攻撃。巨人のバルビーノ・ガルベスが阪神の坪井智哉に本塁打を打たれた際に球審である橘高の判定を不服として(直前に際どいコースの投球をボールと判定されていた)、橘高にボールを投げつけたとされる。本人はボールボーイに返球しただけと主張し、橘高の方へはバウンドしたボールが転がっただけで橘高自身には当たらなかったが、ガルベスはそのシーズンの残り試合出場停止処分となった。この行為には橘高も相当激怒し、ガルベスに向かって走り寄ってしまったためガルベスも応戦し、乱闘騒ぎになった。なお、このシーンは『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でも取り上げられた。
2000年5月6日、中日 - 横浜戦(ナゴヤドーム)
7回裏、中日の攻撃。立浪和義への内角球を、球審の橘高はストライクと判定した。判定に不満を示した立浪が橘高の胸を突いたとして退場処分を宣告した直後、中日監督の星野仙一が橘高に体当たりし、中日ベンチから選手・コーチが一斉に橘高のもとに詰め寄り、乱闘騒ぎになった。その際、大西崇之が橘高の胸付近を殴り、橘高は右肋骨骨折と左肩、背中などの軽傷と診断された。最終的に星野、立浪、大西の3人が退場処分を受けた。星野には5日間の出場停止と50万円の罰金、立浪に5日間、大西に10日間の出場停止と10万円の罰金がそれぞれ科された。その後、星野、立浪、大西の3人に対しては、それぞれ別地域に住む一般人2名が傷害罪で名古屋地方検察庁に刑事告発(刑事告発は誰でもできる)を行ったが、橘高本人から被害届が出ていないとの理由で、3者とも書類送検された後に起訴猶予処分となった。なお、このシーンは『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でも何度か取り上げられた。
2000年6月7日、巨人 - 阪神戦(東京ドーム
打席を3回外した阪神の和田豊に対し、巨人のダレル・メイは和田の頭めがけて故意にボールを投げつけた。ボールは和田の頭部付近を通ったが、球審の橘高はその時点では処置をしなかった。しかし試合後、メイが「to him」と発言したため、後日連盟より、出場停止10日間、罰金50万円の処分を受けた(巨人の母体である読売新聞には「at himでは「打者を狙って投げた」ということになるが、to himなので「打者に対して投げた」に過ぎないので誤解である」という記事が掲載された[いつ?]。また、メイは誰も傷つけていない自分と上記の審判の肋骨を骨折させた大西とを比較して、処分の重さに不満を述べている)。橘高を含む審判団は、本来ならば投球時点で確認を行い厳正な処分を行うべきであるとして、連盟より厳重戒告の処分を受けた。
2004年10月16日、中日 - 西武戦(2004年の日本シリーズ第1戦、ナゴヤドーム)
5回裏、中日の攻撃。一死一塁から中日の谷繁元信の打球は捕手前のゴロとなった。西武の野田浩輔がこれを処理し直ちに谷繁に触球を試みた。球審の橘高は野田が打者走者の谷繁に触球したと判定し、アウトを宣告した。続いて野田は二塁へ送球。橘高のアウトの宣告が聞こえていなかったのか、二塁塁審の杉永政信は一塁走者のオマール・リナレスフォースアウトを宣告した。この判定を受け、ショートを守っていた西武の中島裕之は一塁に送球。西武側は併殺したと判断し、ベンチに引き上げた。すると中日監督の落合博満は審判団に、「打者走者に対する触球によってアウトが宣告されたのなら、二塁はタッグプレーになる。一塁走者はアウトではない」と主張した。審判団は協議の上、杉永によるフォースアウトの判定を取り消し、二死二塁からの再開を決めた。この判定に対し西武監督の伊東勤が、「一度審判員がアウトと言ったのだから…」とこの決定に対して異議を唱える。橘高は「野田選手のプレーについて伊東監督に説明していますので、しばらくお待ちください」という旨の場内アナウンスを行う。この間、約49分にわたり試合が中断、最後はこの試合の責任審判であった左翼外審友寄正人と、橘高が場内アナウンスで謝罪する事態となった。この件で審判団はコミッショナーから厳重注意を受けた。
2005年9月7日、中日 - 阪神戦(ナゴヤドーム)
9回表、阪神の攻撃。阪神の中村豊の本塁突入の際のクロスプレーの判定を巡り、阪神監督の岡田彰布らによる抗議で試合が一時中断した。さらに9回裏、中日の攻撃。無死二・三塁の場面で、打者・谷繁元信の打球は二塁方向へのゴロで、セカンドを守っていた阪神の関本健太郎はスタートを切った三塁走者のアレックス・オチョアをアウトにしようと本塁に送球したが、球審の橘高はセーフと判定した。平田勝男ヘッドコーチはこれを不服としてベンチから飛び出し、橘高に暴力行為を働いたため、橘高は平田ヘッドコーチに退場を宣告した。岡田監督が選手全員を一旦ベンチに引き上げさせ、試合は18分間中断した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 65(1981年 - 1983年)
  • 92(1984年)

審判出場記録[編集]

  • 初出場:1987年9月8日、阪神タイガースヤクルトスワローズ21回戦(阪神甲子園球場) - 左翼外審として
  • 出場試合数:2626試合
  • オールスターゲーム出場:5回(1993年、2001年、2004年、2011年、2016年)
  • 日本シリーズ出場:7回(1999年、2003年、2004年、2007年、2011年、2014年、2017年)

(記録は2017年シーズン終了時)

脚注[編集]

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 橘高淳審判員 2500試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構オフィシャルサイト)、2016年7月31日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]